大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P190

 蹄鉄の釘目の見ゆる馬を洗ふ


 三歳のとき、栃木県安蘇郡田沼町疎開。八歳まで過ごした。夏休みになると友達と川で目高捕りや河原で蛇の卵を探したりして遊んだ。遊び疲れて帰る頃、青年が馬を洗っているのを偶然見た。川の水をざぶりとかけられ全身をごしごし洗われても馬はおとなしく濡れた尾っぽを振っていた。青年が馬の前足を上げたとき、蹄鉄の釘目が夕日に光った。記憶の中の馬の句である。 (『星涼』)

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P188

蝶よりもしづかに針を使ひをり


 春の昼、庭に白い蝶が飛んでいる。消えたと思うとまた現れる。今日は猫の蒲団のカバーを縫う予定だ。白い布に針をすっと入れる。蝶に虫ピンを刺したような感触。この感触を忘れるべく前に作った〈野の蝶の触れゆくものに我も触る〉の句の情景を思い浮かべる。すると部屋に蝶の気配が。塗った糸をぐっと引きしぼり、蝶よりも静かに、静かに針を使う。白い布の上を針は旅をする。そして、カバーが出来上がると針の旅は終る。 (『星涼』)

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P186

 猫のこのふにやふにやにしてよく走る


 ある寒い夜、農家の納戸に子猫がいると友人から電話があった。見に行くと、痩せ細った母猫と二匹の子猫が一塊になって藁の上で眠っていた。子猫の離乳期のあと、母猫に避妊手術をさせ、三匹を保護した。何度か逃亡したあと猫たちは現在、我が家の地下に棲みついている。私の悩みは、雄猫のレインが妹猫の花に恋をして追い回すことである。 (『星涼』)

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P184

 濁流の音ここちよく節分草


 隅田川へ向かって荒川の川沿いを歩いているときのこと。前日の大雨で川の水が濁っていた。流れる水の音を聞き留めようと目を瞠ると、清流のような気持よい音がする。意外だった。そこへ白い小さな五弁の花の咲く鉢を提げた婦人が現れた。「それ、なんの花ですか?」と聞くと「節分草。可憐でしょ」と答えた。「荒川の本流って濁るときもあるんですか?」。婦人は「荒川はいつだって荒川ですよ」と笑った。風雅の心を知っていると思った。 (『清涼』) 

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P182

 膝ついて露けきものに栗の毬


 栗好きの下の姉が朝露に濡れながら栗の実を拾っている。優雅に地に膝をついて……。なかなか絵になる風景だ。突然、「あっ!」と姉が叫んだ。栗の毬に触ったらしい。そして、「栗の毬のように毅然と生きなければね」と呟いた。さすが、俳号を「毬丸(いがまる)」と称する姉らしい言い様だ。この毬丸、「あまりは、俳句はまあまあだけれど、文章はすっごーく下手よね!!」。エレガントに、地雷を踏むのである。 (『清涼』) 

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P180

 男郎花ここに早瀬の欲しきかな


 東青梅駅俳人の石田郷子さんが迎えてくれた車で三十分も走ると埼玉県飯能市。名栗の郷子さんの新居に到着。句作のフィールドを自然豊かな飯能に移し、今、充実の時を迎えている郷子さん。ご主人の禅さんも加わって話が弾む。そして、〈秋涼の石田郷子が笑ふ家〉のように実に楽しい時間を過ごした。
 別れを惜しみつつ横浜の我が家に着いたのは夕暮れ。お皿を洗いながら、名栗の清冽な水の流れを思い出していた。 (『清涼』) 

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P178

 白地着て岬で待てと夢の父


 父不在の変則的な家庭でも母を中心に兄や姉たちとの生活は楽しく快適だった。思春期になって父を必要としたことはあったが、父と暮らしたいとは言えなかった。複雑な父への思いを卒業したのは大学生の頃だった。それ以来、物分りの良い娘になろうと努めた。
 白地を着た夢の中の父は、優しく手を差し伸べた。お父さん、約束の岬までは行けませんが、わたし、やっと、俳句という岸に辿り着けましたよ……。 (『清涼』)