アナグラム 1

 厚川昌男という名前をご存じでしょうか。あつかわまさお。ご存じない? では、あわさかつまお、はいかがですか? こちらはすぐおわかりですね。泡坂妻夫。第103回直木賞受賞作家です(「蔭桔梗」1990年新潮社刊)。
 これはアナグラム、文字の綴り替えといいます。名前を隠したり、言い替えたりするとき、この方法をとることがあります。福永武彦という作家が(これは池澤夏樹という作家のお父さんですが)、純文学から離れて探偵小説を書いたときに、ペンネームをアナグラムでこしらえたことがありました。
 加田伶太郎。かだれいたろう。たれだろうか。ずいぶん人を食っていますが、これは遊びなんですね。登場する探偵役は、古典学者の伊丹英典(いたみえいてん)という教授ですが、これもほぐしてみると、名探偵(めいたんてい。ちょっとなまって、みぇいたんてい)となります。 SF小説やショート・ショートとあわせて「福永武彦著・加田伶太郎全集」全1巻(1970年桃源社刊)という楽しい本も上梓しています。SFを書いたときもペンネームを用いました。船田学(ふなだがく)。福永だ。
 「課長、本好きでしょ。これ、読んでくれる?」
 といって、上下さんがくれたのは、初版本の「蔭桔梗」でした。
 上下さんはアルバイト社員でした。正社員にならなかったのは、ご主人の所得が多かったからで、おそらく税金対策でしょう。理由をきいたことがありましたが、忘れました。
 急に退職する人が出て、あらたに女子正社員を募集することになったとき、どうも若い人は我慢が足りないから、今度はひとつ年齢を大幅に下げて、年輩の人でも応募しやすいようにしよう、ということになりました。実際、顧客の方々にとっても、話のわかる年齢の女性のほうが、好ましいということがありました。いい例が荻馬場さんです。いや、荻馬場さんが老けてるというわけではありませんよ。年増でもありません、その頃は(ちゃんと断わっておかないと、こわいですから)。上下さんも荻馬場さんも同い年です。しかも奇遇なことに、あとになってわかったことですが、神田の同じ中学の同窓生でした(早生まれのふたりは、学年がぼくよりひとつ上です)。2人採用するほどではないが、1人では心もとない、という微妙な按配の募集で、いい人がいたら2人、いなければ1人で間に合わせることになっていました。
 年齢を下げたせいか、広告を載せたその日の朝から、電話がひっきりなしに鳴り続けました。そして、年齢にふさわしく図々しい人ばかりで、まず最初に給料の額をきいてきます。月給は、本人と面接をして、経験と能力に合わせて相談の上で決定します。ですから、一律の基本の給与に、その人に応じて手当が上乗せされました(ぼくとぼくより年下の有金君は同じ給与額で入社しましたが、実際には彼には自動車手当がついたので、そのとき運転免許のなかったぼくより5千円多かったのです。翌年、昇給月に砂糖部長にカーテンのかげに呼ばれて、きみはほかの同僚たちより余計に昇給したから、ぜったいに仲間内で給料の額を話さないように、と釘をさされました。これは自慢ではなくて、会社が年相応の金額を査定してくれたのだとおもいます)。
 しかし、すれた年輩の女性にとっては、面談の上なんていうのは、ちゃんちゃらおかしかったようです。「給料の額をきけば、わざわざ面接に行く必要がないからっていわれちゃったよ」といって、釜本次長が苦々しい顔をしました。「きっとこういう人は、すこしでも給料の高いところが見つかると、また移っていくのだろうね」
 その電話が鳴ったとき、たまたまそばにいたぼくが受話器を取りました。相手の女性は、「募集広告にある年齢より、ちょっとオーバーしていますが駄目でしょうか」と控えめな声できいてきました。「年より若くみえるんですけど」。ぼくは、どうせ年なんかいくつか違っても大差ないや、とおもっていたので、「平気ですよ」と軽く返事しました。相手は、今度はいいにくそうに、「アルバイトがいいんですけど、駄目でしょうか」ときいてきました。ぼくは、ちょっと考えましたが、「まあ、どちらにしても、来るだけ来られてみたらいかがですか」と答えました。年齢が駄目ならアルバイトも駄目だろうし、年齢がさしつかえなければアルバイトだってかまわないだろう、と乱暴に考えたのです。(つづく)