2009-01-01から1年間の記事一覧

年末の挨拶

井伏鱒二に「泉」と題する詩がある。 たった二行の短い詩だが、「岡の麓に泉がある。」と前書がついている。 その泉の深さは極まるが 湧き出る水は極まり知れぬ 暦のおかげで、今年という一年は大晦日でおしまいだが、時間は湧き出る水のようなもので、ずっ…

絵 6

李禹煥(リーウーハン)先生は、いつも奥様とみえられた。そして、奥様がワンピースを試着しているあいだ、なんとなく所在なさげに待っておられた。 最初のときは、顧客のだれかといっしょにみえたはずだが、どなたが先生を紹介してくださったのか、すっかり…

絵 5

文京区のとある高台、とだけいっておこう。高級住宅地の誉れ高く、今太閤といわれたあの元首相の大邸宅も近くにあった。 その画家は夜行性で、ドラキュラみたいに日が暮れてから起きだして、夜じゅう仕事をしているということだった。だから、夫人もそれに合…

絵 4

ボクチャン2世は、それからしばらくして日本画家のうちにやってきた(2005-02-06「ローマイヤのハム」参照)。ボクチャン2世は、なくなったボクチャンそっくりの犬だった。 先生のお弟子さんが道を歩いていると、とつぜん子犬が足にじゃれついてきたという。…

絵 3

有金君が自動車外商で下保昭先生のお宅へうかがうと、ちょうど庭師のおじさんが木の手入れをしにきているところだった。 有金君は、先生にAVONのスポーツシャツを何枚か選んでいただいた。すると、それを脚立の上から眺めていたおじさんが、先生、ええなあ、…

絵 2

麻田辨自先生のお宅にうかがうようになったのは、その翌年からだった。 「麻田辨」と書かれた表札は、入社した年の秋から挨拶まわりで見ていたが、辨という名前の人が男なのか女なのか皆目わからなかった。わからなければきけばよさそうなものだが、たしかめ…

絵 1

ぼくがはじめて担当した画家は、上村松篁先生だった。しかし、最初にお会いしたのは、奥様のほうである。 昭和54年、京都に自動車外商に行かされたぼくは、入社2年目でもあり、ほとんど顧客らしい顧客がいなかった。上村先生のお宅にうかがったのは、釜本次…

指輪 17

古井豆奴様から電話がきた。 「あのな、いろいろ考えたんどすけど、やっぱりルビーはやめとこうおもいますのや。ほら、ルビーの指輪やらいう歌が流行りだしたやおへんか。あれききましたら、なんや縁起わるい気がしますやんか。そんで、ほら、最初に迷ったお…

指輪 16

「銀座名店会」は、春と秋の2回、高島屋京都店7階の特別催事で催された。会期は1週間である。当時は水曜日が完全に定休日で、搬入はこの日の午後1時から行なった。 もっとも、ぼくは挨拶まわりのために、いつも5日くらい早く京都に入っていた。案内状に粗品…

指輪 15

赤坂の芸者さん、K様がキャンセルしたあのルビーの指輪は、9号サイズだった。11号だったものを、左手の薬指のサイズに直したからだ(註、2009-09-27「指輪 7」参照)。 左手の薬指のサイズが9号の人というのは、そうざらにいない。だから、このルビーに目を…

指輪 14

古井豆奴様の左手の薬指のサイズは、11号だった。 (つづく)

指輪 13

古井豆奴様とお姉様の駄々茶様、それから置屋さんのお母様は、家族であっても血縁はない。血縁はないけれど、血よりも濃い関係で結ばれている。ひとつ屋根の下で、赤の他人が、親きょうだいよりも、もっと強い絆で結ばれているのである。 「お母さんの好きな…

指輪 12

「あのな、タカシマはん」 古井豆奴様から電話がきた。 「こないだ、分けてもろた指輪ありますやんか」 「はい」 「あれな、パーティでしてましたんどす」 「ええ」 「あれって、あめ玉半分に割ったような形してますやろ」 「そうですね」 「そんでな、その…

指輪 11

古井豆奴様は、結局、翡翠のほうを選ばれた。ふたつで百万円などと恐ろしいことをおっしゃったが、「そんなん、本気と違いますがな、ホホホ」と笑った。 リングのサイズが大きすぎたので、指にあわせて直すことになった。東京に帰って、指輪を修理に出して待…

指輪 10

有金君といっしょに京都に自動車外商に行ったとき(2006-01-15「有金君 その1」参照)、じつは豆奴様のお姉様、駄々茶様(仮名)のお店に寄っていた。有金君が、ちょっと行ってみましょうよ、といったからである。 駄々茶様は、バーを経営していた。もう芸者…

指輪 9

祇園の芸者衆のひとり、古井豆奴(仮名)様に、「なるたけ大きな宝石のついた指輪がほしいのどすけど」といわれた。京都高島屋で展示会をしたときのことだ。 「予算は百万円くらいかなあ」と豆奴さまはバッグのなかから甘露飴を取り出して、「これくらいの大…

指輪 8

A氏の奥様は、車のドアで指を挟みました。車中で夫と喧嘩になって、プンプンしながらドアを閉めたところ、うっかり反対側の手を抜く前に閉まってしまったのです。左ハンドルの車の助手席に乗っていたので、挟んだのは左手でした。相当強く挟んだので、薬指に…

指輪 7

「いやあ、驚きましたねえ」 ぼくは、お届けからもどって、鎌崎店長にそういった。 「えっ? とおもいましたよ。なんでここにいるんだろうって。それから、もしかして、公認になったのだろうかって」 「そういえば、似てるかな」 鎌崎店長が、おかしげにいっ…

指輪 6

釜本次長は、なぜかすぐには返品手続きをしなかった。 売れた形になっているものは、むろん店で売るわけにはいかないが、都内の顧客のお宅に外商に行った折りとか、自動車外商で地方に出かけたときに、積極的にこのエメラルドの指輪をすすめて、うまく売れた…

指輪 5

ジンクスというのは、どんな世界にもある。フジヤ・マツムラは古い店だったから、ジンクスなんていくらでもあった。そのひとつが、一度売れて返品された商品は、その後まったく売れなくなる、というものだった。 これは、おかしいくらい当たっていた。いった…

指輪 4

「釜本君。S酒造のK様は、なんといって買ってくれたんだい?」 不審気な表情で、鎌崎店長がたずねた。 「えーと、エメラルドを横向きにしたら面白いデザインやねえ、って」 やや不機嫌な表情の釜本次長が答えた。 「面白いというのは、そういうデザインなら…

指輪 3

車に戻って西村君と駄べっていると、しばらくして釜本次長がにこにこして戻ってきた。 「売れたよ、指輪」 先ほど、あれほど憎悪にみちた眼でぼくを睨んでいたのを、指輪が売れたうれしさで、すっかり忘れてしまったらしい。 オーナー夫人は、小柄で痩せた方…

指輪 2

はじめて釜本次長と自動車外商に行ったのは京都だった。セドリックのバンに大きな鞄を7個積んでいった。運転手はいつも早大の自動車部にアルバイトを頼んでいたが、そのときは西村君がマネージャーにいわれてやってきた。 西村君は、教員になりたかったのだ…

指輪

のちに芸術院会員になった日本画家のH先生のお宅に、釜本次長が外商に行った。 釜本次長は、店にじっとしていられない人で、手持不沙汰になると、やおら顧客のだれかに電話をかけて、外商に出かけて行くのだった。外商といっても、どちらかというとご用聞き…

コート 27

「だって、コートは2枚しかないっていったんだもん」 半べそをかきながら、砂糖部長は車に乗った。碧南市のO氏から紹介された、名古屋郊外の会社社長のお宅をおいとましたときのことだ。 自動車外商にまわると、ときとして、顧客からめぼしい友人や知人を紹…

コート 26

「キリマンジャロは雪に覆われた山で、高さ一万九千百十フィート。アフリカの最高峰だ。頂上の西側に豹の死体が横たわっている。こんな高所に何故豹がやってきたのか、誰にもわからない」(和田誠『物語の旅』フレーベル館・2002年刊から引用) この一節は、…

号外

「海老沢は正統的な散文を書く。彼はこみいった事情を、それについてまったく知らない相手に、詳しく、わかりやすく、そしてすばやく伝達することができる。彼の叙述は明晰で、彼の描写は鮮明である。彼はずいぶんややこしい事柄を、もたもたした口調になら…

コート 25

そのお二人は、ぜんぜん似ていないのだが、なんとなく似ていなくもなかった。 山口瞳先生は、替え上着のときは、ショートコートをはおることが多かった。それに、かならずハンチング(鳥撃ち帽)をかぶっておられた(山口先生は、自嘲的に、禿げ隠し、といわ…

コート 24

フジヤ・マツムラの近所にルパンというバーがあった(註、フジヤ・マツムラはなくなりましたが、ルパンはまだあります)。文壇バーと呼ばれており、戦後すぐのころ、織田作之助や太宰治がこの店のカウンターで撮った写真は有名である。 いずれもカメラマンは…

百物語

ああ、百物語ね。もちろん知ってますよ。粋狂で催したことがあります。 ほら、鴎外の小説にもあるでしょう、向島あたりの金持の別荘で百物語が開かれる話が。あれを真似たんです。当然、場所は向島。割合、凝るほうで。といっても、別荘なんてないから、料亭…