2011-01-01から1年間の記事一覧

銀座百点 号外94

まだ、「吉行淳之介エピソード集」のつづきである。 安岡章太郎の文章によると、吉行はM・Mとのデートの為に、オースチンを買ったことになっている。ただ、この恋愛について、大久保房男(元「群像」編集長)の次の文が、印象強く残っている。 「吉行氏とA女…

銀座百点 号外93

車の次は、M・Mのことも書かなければならない。彼女のことは、「闇のなかの祝祭」「赤い歳月」「湿った空乾いた空」などの吉行作品を読んだ方ならご存じの筈。そして、三十六年、三月から九月末までかかって書きあげた「闇のなかの祝祭」が、誌上を飾った時…

銀座百点 号外92

三十四年の春、吉行は車の免許を取った。二十日ぐらいでとれたというから、かなりいい線いっていたことになる。 「吉行淳之介の研究」に収められている「吉行淳之介エピソード集」(山本容朗編)にこういう記述がある。 最初、オースチンの新車同様というヤ…

銀座百点 号外91

「私の文学放浪」のなかに、吉行淳之介の創作の秘密が書かれているので引用する。創作の秘密であるとともに、家庭を顧みなくなる作家の性分が語られている。 文学の世界への入門書として母親の与えてくれた書物は、石坂洋次郎『美しい暦』と阿部知二『朝霧』…

銀座百点 号外90

「年譜」の「一九五九年(昭和三四年)三五歳」の最後に、「この年、娘麻子生まれる。」とある。 吉行淳之介にとって、運命の人といってもいいかもしれない宮城まり子と出会い、恋に落ち、離れ難くなったときに子どもが生まれたのは、悲劇のような喜劇のよう…

銀座百点 号外89

その書物は、M・Mの書棚に並んでいた。昭和十三年発行、定価八十銭というオクヅケの文字があり、彼女はそれを古本屋で買ってきたという。そして、その書物も、普段のときの私ならば見逃していただろう。たとえ手にとって開いてみても、その中から語りかけて…

銀座百点 号外88

「昭和34年(1959)35歳」の章に「私の文学放浪」からの抜粋が載っている。 M・Mに出会ったことは、作家の私にとっては幸運であったといえる。小説の材料を掴むために、私が彼女に接近を計ったのだという噂(文壇関係の噂ではない)を聞いたことがあるが、そ…

銀座百点 号外87

「吉行淳之介による吉行淳之介」の「昭和33年(1958)34歳」の章に、「初出と改稿」というエッセイが載っている。 昭和三十三年の秋から、ふしぎな一年間があった。その期間に書いた短編が七作ほどあるが、一枚も原稿用紙の書き損じがない。先日必要があって…

銀座百点 号外86

「童謡」が収録された「吉行淳之介全集」第四巻の月報に、「第四巻について」という短い文章が載っている。 「この集の最後の短編は、四十二年七月号掲載のものである。以来、四十三、四、五と三年間、一作も短編がない。四十六年一月からようやく掌小説を書…

銀座百点 号外85

久しぶりに、学校へ行った。あの友人は、少年の姿をたしかめるように眺め、 「すっかり良くなったね。今だから言えるけれど、見舞に行ったときはびっくりしたよ。とても、君とは思えなかった」 「うん」 少年は、短く答えた。 校庭の砂場の前には、少年たち…

銀座百点 号外84

翌日、寄宿先の台秤に載った少年は、また自分の体重が増えているのを知る。その次の日も、体重は増えた。じわじわと肥ってゆくのが、手にとって見えるような気さえした。どこまで肥るのか、自分でも不気味におもえた。肥りはじめてから二十日目(すなわち、…

銀座百点 号外83

少女は、居たたまれない素振りで、 「また、来ますわ」 と言い残し、灰白色の建物の陰に消えた。後を追おうとしても、少年は走ることができない。ゆっくりとベッドまで辿りつき、布団の中に潜った。布団を頭からかぶった。 そして、暗い中で呟いた。 「ああ…

銀座百点 号外82

少年は、ようやく一人で歩けるようになった。 骨のまわりの肉は、すこしも増えない。ゆっくりと、すこしずつ、いまにも倒れそうな危うさで歩いてゆく。均衡が崩れかかると、少年は立止り、だらりと下げた両腕の手の甲をぐっと上に反らせる。そうやって、均衡…

銀座百点 号外81

「布団の国」の王様どころか、白く乾いた地面の上に投げ捨てられた死体のように、少年は自分を感じた。そして、白い布団のひろがりの上に横たわっている、骨格だけになっている自分の躯を見まわした。 少年は、自分一人の力では、起き上がれなくなった。 (…

銀座百点 号外80

ぼくは、吉行淳之介のターニングポイントは腸チフスだといった。その体験がなければ、相変わらず素直な優等生で、優秀な同級生たちといっしょの道を歩んだ筈である。 ここに、「童謡」という作品がある。題名を忘れていたので、探し出すのに苦労した。ぼくは…

銀座百点 号外79

二代目というと、私の場合においては当然文士の二代目ということになる。ところが、かなり大きくなるまで父親の正体が分らなかった。父親とは時折家に戻ってきて、わけも分らず怒鳴り、またいなくなる迷惑な存在であった。この気持は、中学五年生になっても…

銀座百点 号外78

人間にはだれにでも、人生におけるターニングポイントがあるようだ。吉行淳之介の場合は、十六歳のときの腸チフスがそれにあたるとおもう。ここで一年留年して、五年生を二度くり返すことになったが、しかし、もともとおそ生れを早生れとして届け出てあった…

銀座百点 号外77

私は原稿用紙に文字を書き並べることが、嫌いである。世の中には、「私は筆無精で」と言うと、冗談を言っているとおもう人が多い。こういう人たちは、文学というものが分っていないのであって、しかし、そういう人たちが大部分である。したがって、自分の本…

銀座百点 号外76

こういうことすべてが、今にしておもえば私の文学に微妙につながっている。しかし私は、旧制高校に入るまで芸術という分野がこの世に存在していることを知らなかった。異常のようだが嘘のないところである。むしろ、文庫本を読んだりする中学生を軽蔑し、高…

銀座百点 号外75

私の父は新興芸術派の作家(一時期、二十二から五歳のころは流行作家と呼んでもよかったようだ)だったが、早く筆を折って(行き詰まったのだとおもう)蔵書を全部売払い、およそ家庭には文学的雰囲気はなかった。稀にしか帰宅せず、そのときは近所に下宿し…

銀座百点 号外74

講談社版「吉行淳之介全集」全八巻は、昭和四十六年に刊行が開始された。そして、最終巻の第八巻は、翌四十七年二月二十日に発行されている。ぼくが探していた吉行淳之介の文章が、ここに収録されていた。 それは、「断片的に」と題するごく短い文章である。…

銀座百点 号外73

「吉行淳之介の研究」の目次を見てみると、「1 吉行文学についての考察」「2 吉行淳之介という人間」「3 吉行淳之介エピソード集」「4 作家に聞く…文学創造の秘密」の四つに分かれている。読んで面白くて、しかも役に立つのは、「エピソード集」である。ぼく…

銀座百点 号外72

昭和五十三年発行の「吉行淳之介の研究」(実業之日本社刊)がようやく見つかった。最近は、ちょっと調べたいとおもう本が、なかなか見つからなくて困る。 この本は、吉行淳之介についてなにか述べたいとおもったときには、非常に便利な本である。早速、ぼく…

銀座百点 号外71

麻布中学校では、五年生のとき、朝礼台にのぼって号令をかける役だった。後輩の北杜夫によると、号令をかけるのは生徒会長の役目で、それは前の年、四年生での成績が全体で一番だったことを意味する。けれど、号令をかける吉行さんはどこか照れた感じで、す…

銀座百点 号外70

吉行淳之介は、番町小学校から麻布中学校にすすんでいる。典型的な中流家庭の子どもである。青南小学校から第一東京市立中学校に進学した安岡章太郎と、よく似ている。ただし、学校へ行くのがイヤで、青山墓地にじっと身を潜めていた安岡章太郎と違い、吉行…

銀座百点 号外69

一九五四年(昭和二九年)三〇歳 一月、「治療」(「群像」)を発表。左肺区域切除の手術を受ける。二月、「驟雨」(「文学界」)を発表。五月、原因不明の高熱と喘息発作により重態となる、六月、「薔薇」(「新潮」)を発表。七月、「驟雨」により第三一回…

銀座百点 号外68

一九四六年(昭和二一年)二二歳 終戦と同時に計画した同人雑誌「葦」を三月に創刊(七月二号、一二月三号で終刊)。七月、創刊時に同人となった「世代」で、いいだ・もも、小川徹、中村稔、日高晋、村松剛、矢牧一宏、八木柊一郎らを知る。窮乏のため家庭教…

銀座百点 号外67

吉行淳之介の別の年譜を見てみる(講談社文芸文庫「吉行淳之介対談集・やわらかい話」所収)。筑摩版新鋭文学叢書の年譜と見くらべると、吉行淳之介という作家がもっと違って見えてくるだろう。 一九二四年(大正一三年) 四月十三日(戸籍では四月一日の早…

銀座百点 号外66

ぼくは、第三の新人のなかでは、はじめ安岡章太郎に結構惹かれた。 しかし、安岡章太郎の感覚には親近感をおぼえながら、なんだか違和感があった。違和感は、文字通り感じであって、それならなにが違うのかときかれても、うまく答えられない。だから、安岡自…

銀座百点 号外65

昭和二八年(一九五三)「三世社を退社し、春から夏にかけて、千葉県佐原氏の病院で療養生活を送る。ABC放送のラジオ原稿を書いて、生計を立てた。一一月、清瀬病院に入院。一二月、「治療」を『群像』新年号に発表。翌二九年一月、左肺区域切除手術を受けた…