銀座百点 号外83

 少女は、居たたまれない素振りで、
「また、来ますわ」
 と言い残し、灰白色の建物の陰に消えた。後を追おうとしても、少年は走ることができない。ゆっくりとベッドまで辿りつき、布団の中に潜った。布団を頭からかぶった。
 そして、暗い中で呟いた。
「ああ! この身はわたしじゃない」
 先日の友人の奇妙に間のびしたフシを思い出して、もう一度、言い直してみた。
「ああ! ああ! この身はわたしじゃない」


 少年の回復が遅いことに医師は苛立ち、家庭に帰ることをすすめる。少年は家庭に帰った。しかし、少年の気分は一向に変らなかった。周囲の人々は、転地の必要がある、と判断し、少年は生まれた土地の親戚の家に預けられる。


 遠い距離を、少年は運ばれて行った。
 医師も、友人も、少女も、その姿が少年の脳裏でしだいに小さくなり、豆粒ほどになった。彼らの姿が、少年の脳裏から消えることは決して無かった。しかし、彼らの視野の届かぬ場所に来たことが、少年を安堵させた。


 翌日から、少年は肥りはじめた。むくむく肥る、という平凡な形容がそのまま当て嵌る具合に、肥りはじめた。
(中略)
 そして、元通りの体重になるのに、僅か十日間しかかからなかった。
 その日、少年は街に出た。(中略)異様なものを見る眼で、少年を見る人間は一人もいなかった。その筈である。少年は、元通りの姿になっていたのだから。


 公園に歩み込んだ少年は、道傍に置かれた体重計に載り、硬貨を細い孔にすべり込ませた。目盛版の針がぐうっと回った。針はこまかく揺れてから、少年の体重を示す数字の上で止まった。


「これが、自分の目方だ」
 少年は、眼の前の体重計に現れている目方を、そのまま両腕の中に抱き取りたい、とおもった。(中略)
「これで、生きている人間たちの世界に戻ることができた」(中略)
 少年は、あの少女を体重計の上に載せることを夢想した。少女のやわらかい躯が台の上に載り、目盛版の針が回って静止する。その針が示した目方を、やさしく自分の腕に抱き取ることを夢想した。
「その目方も、自分のものだ」
 少年はそう考えようとした。しかし、少女の目方は、少年の腕の中に移ってこない。よそよそしい顔つきで、体重計の目盛板の上にとどまって動かなかった。