2005-12-01から1ヶ月間の記事一覧

志村喬先生

志村喬先生は、奥様と銀座に来られると、帰りがけにかならずフジヤ・マツムラに立ち寄られた。 先生は無口で、ほとんどご自分から話されることはなかったようにおもう。椅子に深く腰かけて、女子社員がいれたお茶をすすりながら、上司とあれこれおしゃべりさ…

うわさ話

〈うわさ話その1〉 齋藤十一氏は、新潮社の顧問だった。「週刊新潮」や「FOCUS」の生みの親で、陰の天皇と呼ばれていた。その昔、「新潮」にはじめて石川淳先生の作品を獲得したのは、編集者時代の齋藤氏だった。すでにして伝説の人物で、社内でもほとんどの…

職人

ハンドバッグのメンテナンスは、だれでも簡単にできる。 オリジナルのハンドバッグは、店では特選と呼んでいたが、これは職人の高梨さんの仕事だった。 高梨さんは、陸軍の工兵隊で、おもに橋をかけたり、貨物列車の線路を敷いたりしたらしい。 レールのわき…

お手伝いさんor奥様

昭和50年代には、まだお手伝いさんのいるお宅が結構あった。 京都で最初に挨拶回りをしたときは、はじめてお目にかかる方ばかりで、まるきりお客様の顔を知らずにご案内状を届けてまわった。左京区鹿ヶ谷、法然院の近くのT様のお宅は、伺うといつも年配のく…

勘違い

世田谷に挨拶回りに行ったとき、どうしても1軒のお宅が見当たらなかった。 その住所の場所は、長い塀がつづいていて、それらしい家がない。塀は、こちらの角から向こうの角まで、ずうっとつづいている。それもそのはずで、近くに立っていた住居表示板でよう…