2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

コート 12

ぼくが日本橋高島屋2階特選にあったフジヤ・マツムラコーナーに応援で出向したとき、そのコーナーの一角にイタリーのブランド、ヘルノが居候していた。壁に作り付けになっているハンガーラックだけを使用していたが、イタリー製の高価なカシミヤのコートがず…

コート 11

矢村海彦君は、ぼくのことを「ブス殺し」といったことがある。つき合う女性に美人がいないといった程度の意味合いである。いわれたとき、なるほどそうかもしれない、とおもった。 ぼくは、社会に出ても一向に学生気分が抜けなかった。だから、女性にも、男友…

コート 10

渋谷の百軒店の路地の奥に、ぼくたちが泥棒市と呼んでいた古着屋があった。いまはスーパーかなにかになっている場所だ。その頃は、空き地にテントを張って、3、4軒の店があった。昭和50年代のはじめのことである。 広告制作会社の社長になった矢村海彦君は、…

コート 9

「ちょっと時間があったものですから、寄ってみました」 遠山一行氏は、ロータリークラブの集まりかなにかで銀座に来られると、必ず顔を見せられた(ロタリー、だったとおもうけど)。そして、靴下とかハンカチとかネクタイとかいった、ちょっとした小物を買…

コート 8

綿貫君は、エルメスが好きだった。それで、丸の内のエルメスで白のコートを購入した。綿貫君の給料ではもちろん足りなくて、お袋さんに借金をしてそれを買った。 彼の母上は小学校の先生だけれど、財産家の未亡人でもあったから、打ち出の小槌みたいなものだ…