2008-01-01から1年間の記事一覧

番外篇 靴

机のなかを片付けていたら、「銀座百点」(No.630、2007年5月1日発行)という小冊子がでてきた。「銀座百点」は、銀座の一流の老舗が会員になっている銀座百店会という組合が発行しており、なかなか根強い人気を誇っている。表4(裏表紙のこと)に空也さんの…

ハンドバッグ 26

岸谷先生が、こんちは、といって入ってこられると、「このバッグと同じもの作ってよ」とおっしゃった。「ただし、色は紺でね」 アイグナーだったかゴールドファイルの、くたびれたポシェットだった。男性もポシェットをかけて歩くのが流行った時期のことだ。…

ハンドバッグ 25

岸谷先生は、こんちは、といって木曜日にやって来られる。そして、なんだかんだ世間話をして帰られる。そんなふうにして1カ月がたち、1年が過ぎていった。 お嬢様は、ほんのときたま、休みがとれたときに同行された。相変わらず口数はすくなかったが、以前と…

ハンドバッグ 24

岸谷先生のお嬢様は、それからというもの、銀座に顔を見せなかった。岸谷先生にうかがうと、娘は勉強ばかりしているよ、というご返事だった。お嬢様は、医大に上がられても、相変わらず牛乳瓶の底のようなレンズの眼鏡をかけて、ガリガリと勉強だけしておら…

ハンドバッグ 23

岸谷先生のお嬢様は、歯科大に入学が決まった。合格祝いに、おじいさまが指輪を購入することになった。お嬢様が選んだのは、ルビーの指輪だった。金の台に、鳩の血の色をした小豆粒ほどの石が1個、のっかっていた。 指輪というのは、華奢にきれいに見せるた…

ハンドバッグ 22

岸谷先生には、お嬢様が一人いた。ぼくが最初にお会いしたのは、高校生のときだった。 アメリカのミステリ作家に、クレイグ・ライスという女性がいる。彼女は、いくつかの名作を遺したが、アガサ・クリスティーのように有名にはならなかった。好きな人だけが…

ハンドバッグ 21

歴史年表を見ると、なにも記述のない年というのがある。チグリスと呼ばれていた高校の世界史の教諭は、それはその時代が平和で、なにも事件が起きなかったからだ、と説明した(註、チグリスというのは、チグリス河・ユーフラテス河からとったあだ名である。…

ハンドバッグ 20

岸谷先生(仮名)は、歯医者さんだった。 ぼくは、この先生のご一家ほど、しあわせなご家族を知らない。 毎週木曜日と日曜日は、歯科医院の休診日なので、先生はご家族と銀座に遊びにみえられた。平日はお嬢様は学校があったから、ご尊父とお姉様と3人でやっ…

ハンドバッグ 19

モラビトのハンドバッグ(註、2008-10-12「ハンドバッグ 12」参照)がヤナセから納品されてすぐ、ぼくは自動車外商に出発した。 外商に出るためには、商品を選ばなくてはならない。半ダース入荷したモラビトのクロコダイルのバッグのうち、ぼくは3本選んで別…

ハンドバッグ 18

銀座のピカ一洋服店の永田さん(仮名)が、しゃぶしゃぶの肉をおかわりしながら、いった。 「うちの女子社員にオオイさんという名前の人がいるんですけど」 大阪なんば高島屋での催事に出張していたときのことだ。いっしょに展示会に参加していたピカ一洋服…

ハンドバッグ 17

警察署に着いたものの、二人はイタリア語が話せなかったから、日本語がわかる人が来るまで待たなくてはならなかった。それで、待合室に腰をおろして、だれかが呼びにくるのを待っていた。 しばらくすると、入り口のあたりが騒がしくなって、どかどかと人がな…

ハンドバッグ 16

その日、母娘は些細なことで喧嘩をした。それで、午後の自由行動のときも、二人は口をきかなかった。 母娘は二人だけで、表通りに面した何軒かの店を覗いてまわった。団体行動を嫌ったというより、高価な買い物をするかもしれなかったので、同行の人の目を気…

ハンドバッグ 15

サザエさんのおかあさんのような方がいた。いつも着物姿で、髪型もうしろで丸めて結っていた。じつに渋い着物だったが、それがよく似合っていた。センスがよかったのだろう。 仮に西中ルリ子様としておこう。名前がないと、話しづらいからである。 この名前…

ハンドバッグ 14

世の中には、なんでもひとつのもので統一したがる人がいる。弁護士の花器沼先生もその一人だった。 最初に花器沼先生にお会いしたときには、先生はゴールドファイルに凝っていた。ゴールドファイルはドイツのブランドで、上質な革としっかりしたつくりが自慢…

ハンドバッグ 13

昭和52年7月に、中途採用でぼくは銀座に勤めることになった。月給は手取りで9万3千円、額面で10万数千円だった。採用が決定して、来週から出社するようにいわれて会社を出てから、ふと思い立って友人の甘木に電話をかけた。 友人の甘木は、スチールの棚を作…

ハンドバッグ 12

「フランス製のバッグがあったんだがね」 機嫌のいいとき、砂糖部長が昔話をはじめた。 機嫌がいいのは、おおむね、遅番で夜いっしょに残っているときだった。昼間、むすっと苦虫を噛み殺したような顔をしていたのが、嘘のようだった。 「ずっと前のことだけ…

ハンドバッグ 11

馬のしっぽの毛を編んでつくられたハンドバッグがある。最良のものはドイツのコンテスというメーカーのバッグで、これはずいぶん高価である。 しっぽの毛はヴァイオリンの弦にも用いられるが、これを編んでできる生地は、見た目が畳のようである。横糸にしっ…

ハンドバッグ 10

ショウウインドウは、店の顔である。そこに飾られた品物を見れば、その店のすべてがわかる。 その女性は、入り口のドアをあけると、スッと入ってきた。そばにいた有金君が、咄嗟に、いらっしゃいませ、と声をかけた。 「あの、ウインドウのバッグ、見せてち…

ハンドバッグ 9

フジヤ・マツムラの社長が持っていたのは、ゴヤールというフランス製のバッグだった。織物のような生地で、黒とグリーンと金茶の3色で「Y」という文字を組み合わせてあり、ちょっと杉綾柄のようにも見えた。持ち手とパイピング部分には黒い革が使われていた…

ハンドバッグ 8

電通のT氏(2008-05-11「ネクタイ 6」参照)は、スタスタと店のなかに入ってくると、店内をぐるりと見まわした。そして、入荷したばかりのヌメ革のバッグに目をとめた。そのバッグは、手提げの旅行鞄で、鞄屋の伊藤さんが、試作品です、といって2個持ちこん…

ハンドバッグ 7

ドアをあけて飛びこんできた年輩の女性が、そばにいた砂糖部長にいった。 「グッチのバッグ、ちょうだい」 砂糖部長が答えた。 「奥様、グッチはお隣です」 「ここでは扱ってないの? 気がきかないわね」 年輩の女性が、店内に一瞥をくれから出て行くと、砂…

ハンドバッグ 6

神田淡路町に、昔、箱屋さんがあった。小田部氏(仮名)といって、古くからの顧客だが、日本橋高島屋に帳合があって、買い物はほとんど高島屋のほうでされていた。 ぼくが高島屋2階特選にあったフジヤ・マツムラの支店に出向すると、すぐに呼び出しがかかっ…

ハンドバッグ 5

山口瞳先生に「新東京百景」という1冊がある。昭和63年2月に新潮社より刊行されて、ぼくもすぐ買って読んだ。もちろん、初版本である。しかし、この本は、有金君にあげてしまった。山口先生の本は、一時はすべて初版で持っていたが(「血族」までだったかも…

ハンドバッグ 4

イタリー製のバッグで、ワニの型押しのバッグがあった。手提げのボストンタイプで、大きさは日常もって歩くのにちょうどよい大きさであった。 このバッグは、ワニの型押しといっても、あの模様だけ牛皮に型で押し付けたものとは、まったく違っていた。という…

ハンドバッグ 3

展示会は、店のあるビルの4階ホールで催された。4階ホールに上がるには、エレベーターと階段があった。もちろん、お客様にはエレベーターで上がっていただいた。 狭いエレベーターだったから、下りるとき、乗り切れない社員は階段を使った。お客様をエレベー…

ハンドバッグ 2

フジヤ・マツムラには、特選とよばれるオリジナルのハンドバッグがあった。ちょっともっちゃりとして、和装で持つのに適していたが、年輩のご婦人には洋服で普通に持たれていた。この特選バッグをつくっていたのは、墨田区向島の高梨さんという職人さんだっ…

ハンドバッグ

新橋に藤田商店という問屋があって、委託のハンドバッグを選びに行ったことがあった。入社してすぐの頃のことだ。フランス製のクリスチャン・ディオールを輸入している会社だったが、その割にしけた小さなビルの2階にあった。 ディオールと同じ工場で作られ…

ネクタイ 18(おまけ)

友人の甘木と銀座で飲んで、地下鉄に乗った。まだ終電には間があったが、車内はがらんとして乗客はまばらだった。駅に着くごとに人が降りて、替わりに乗ってこないから、とうとう車内に二人だけになった。すると、甘木が立って、向かいの座席に移った。 「こ…

ネクタイ 17

F・R・ストックトンに「女か虎か」というミステリがある。ごく短い作品だが、このてのミステリはリドル・ストーリーと呼ばれる。リドル・ストーリーとは、「結末をはっきり書かないで謎のまま終らせ、読者の想像に委ねて二通り以上の解釈を生む作品」と、「…

ネクタイ 16

「そりゃあ、おまえ、おれにもわかる気がするな」 ロバの耳で待ち合せた甘木が、タバコを灰皿でもみ消しながら、いった。 「おまえにはわるいが、世間ではおまえみたいな仕事は会社員ていわないんだよ。そりゃあ、会社に勤務しているんだから、書類かなにか…