ハンドバッグ 12

「フランス製のバッグがあったんだがね」
 機嫌のいいとき、砂糖部長が昔話をはじめた。
 機嫌がいいのは、おおむね、遅番で夜いっしょに残っているときだった。昼間、むすっと苦虫を噛み殺したような顔をしていたのが、嘘のようだった。
「ずっと前のことだけどね。村人って名前だった。人気があってね。村人のバッグ、村人のバッグといって、引っ張りだこだった。あれ、どうして入荷しなくなっちゃったんだろうなあ。ずいぶん、売れたのになあ」
 フジヤ・マツムラは、輸入品業界のパイオニアだったから、ひとつのブランドに固執しなかった。それで、せっかく一番に輸入したのに、それがどこかの店に並ぶようになると、さっさと投げ出してほかの未知のブランドを探すのであった(もちろん、ぼくの知らない時代のことです。新しいブランドを紹介するのが、自分たちの使命だとおもっていたのかもしれません)。
 10年後、そのブランドのハンドバッグが、ヤナセを通じて入ってきた。ヤナセというのは、ベンツを売っている、あのヤナセである。知らない人が多いけれど、ヤナセにはファッション商品部という部門があって、「いいものだけを世界から」輸入販売しているのである。
 ある日、ヤナセの副会長さんがひょっこりみえた。葉巻の甘い香りが店内に漂った(註、2004-09-12「シティー・ホッパー」参照)。
「きょうは、営業に来たの。ファッション商品部に頼まれてね。うちの商品、置いてもらおうとおもって」
 翌日、ファッション商品部の担当者がやってきて、ヤナセから商品を仕入れることになった。
 最初に入ってきたのは、ワニ皮のハンドバッグだった。しかし、残念なことに、砂糖部長はもういなかったから、あれほどご執心だったブランドを手にすることができなかった。残念なのは、ぼくもいっしょだった。部長に文句をいう機会を永久に失ったからだ。
 箱をあけると、素晴しいハンドバッグが顔を出した。斑がこまかい、最上級のクロコダイルだった。
 手袋をはめて、バッグのふたをあけてみると、内側に金文字でブランド名が刻まれていた。
「モラビト」。