2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

絵 2

麻田辨自先生のお宅にうかがうようになったのは、その翌年からだった。 「麻田辨」と書かれた表札は、入社した年の秋から挨拶まわりで見ていたが、辨という名前の人が男なのか女なのか皆目わからなかった。わからなければきけばよさそうなものだが、たしかめ…

絵 1

ぼくがはじめて担当した画家は、上村松篁先生だった。しかし、最初にお会いしたのは、奥様のほうである。 昭和54年、京都に自動車外商に行かされたぼくは、入社2年目でもあり、ほとんど顧客らしい顧客がいなかった。上村先生のお宅にうかがったのは、釜本次…

指輪 17

古井豆奴様から電話がきた。 「あのな、いろいろ考えたんどすけど、やっぱりルビーはやめとこうおもいますのや。ほら、ルビーの指輪やらいう歌が流行りだしたやおへんか。あれききましたら、なんや縁起わるい気がしますやんか。そんで、ほら、最初に迷ったお…

指輪 16

「銀座名店会」は、春と秋の2回、高島屋京都店7階の特別催事で催された。会期は1週間である。当時は水曜日が完全に定休日で、搬入はこの日の午後1時から行なった。 もっとも、ぼくは挨拶まわりのために、いつも5日くらい早く京都に入っていた。案内状に粗品…

指輪 15

赤坂の芸者さん、K様がキャンセルしたあのルビーの指輪は、9号サイズだった。11号だったものを、左手の薬指のサイズに直したからだ(註、2009-09-27「指輪 7」参照)。 左手の薬指のサイズが9号の人というのは、そうざらにいない。だから、このルビーに目を…

指輪 14

古井豆奴様の左手の薬指のサイズは、11号だった。 (つづく)

指輪 13

古井豆奴様とお姉様の駄々茶様、それから置屋さんのお母様は、家族であっても血縁はない。血縁はないけれど、血よりも濃い関係で結ばれている。ひとつ屋根の下で、赤の他人が、親きょうだいよりも、もっと強い絆で結ばれているのである。 「お母さんの好きな…