指輪 16

 「銀座名店会」は、春と秋の2回、高島屋京都店7階の特別催事で催された。会期は1週間である。当時は水曜日が完全に定休日で、搬入はこの日の午後1時から行なった。
 もっとも、ぼくは挨拶まわりのために、いつも5日くらい早く京都に入っていた。案内状に粗品をつけて、個人タクシーで顧客のお宅をまわるのである。
 祇園先斗町は、道が狭くて車でまわるのはかえって不便だったから、大きな紙袋に粗品をつめて、両手にさげてまわった。運転手さんも、車を市営駐車場に置いて、いっしょに紙袋をさげてついてきた。粗品が小さかったり軽いもののときは楽でいいが、麻布十番の豆源の詰め合わせなんかだと、かさばって重かった。紙袋を二重にして詰めないと、重くて手提げのところがすぐに破れた。しかも、豆源の詰め合わせは、お留守のとき、郵便受けの口に入らなかったから、もう一度あらためてうかがわなくてはならず、おおいに弱った。それなら、豆源にしなければよさそうなものだが、これがずいぶんと評判がよかったのだ。
 古井豆奴様の坊ちゃんも、小さいころ、豆源のおのろけ豆やおとぼけ豆が大好物で、ぼくがお届けすると飛んできて、すぐに箱をあけてうれしそうに頬ばった。その様子を見たら、お持ちしないわけにはいかないではないか(それに、比較的安いからね)。
 豆奴様のお宅で喜ばれた粗品は、この豆源と銀座の空也最中、それに新橋小川軒のレーズンサンドだった。
 自動車外商にうかがうときは、ぼくの場合、メインはいつも空也最中だったから、豆奴様用に、銀座を出発して高速道路に乗る前に新橋に寄ってレーズンサンドを誂えるか、それが売り切れのときは、麻布十番まで行って豆源を調達した。そちらはもちろん自腹である。エビで鯛を釣るわけではないが(結果的にはそうなってしまうのだが)、あれだけかわいがっていただいたら、だれだってそれくらいはしたくなるであろう。
 で、指輪の話だった。
(つづく)