2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

銀座百点 号外57

安岡章太郎は、年譜(筑摩書房刊新鋭文学叢書「年譜」)によると、1920年(大正九年)に高知市帯屋町の病院で生まれている。父親は、陸軍の獣医だった。 「生後間もなく、父親の勤務地である千葉県国府台か小岩かへ移される。以後、善通寺、市川、小岩等を転…

銀座百点 号外56

さがしものは、まだ見つからない。 ぼくが怠ることを覚えたのは、やはり高校を卒業して浪人生活を送るようになってからのことだ。 いまはなくなってしまったが、市ヶ谷に城北予備校という予備校があった。お堀のそばの左内坂を登りきった、通りの右側にあっ…

銀座百点 号外55

最近は、さがしものがスムースに見つからない。それよりもなによりも、探したいとおもっている事柄が至極あやふやである。落語に、「私のさがしてるものは、なんでしょう?」というオチがあったようにおもうが、これも曖昧なのだから困る。 矢村海彦君に与太…

銀座百点 号外54

ぼくは、心臓が口から飛びだすくらい驚いた。まさか矢村君の口からそんな言葉が発せられるとはおもってもみなかったからだ。 あとで、田村隆一先生がぼくのことをまじめだといったとき、矢村君の口からは、彼は与太者みたいな暮らしっぷりをしてます、とでか…

銀座百点 号外53

ぼくは、昭和52年1月に商船三井のアルバイトをやめてから、7月中旬にフジヤ・マツムラに就職するまでのあいだ、ただひたすらフラフラしていた(おもえば、大学受験に失敗して浪人生活に入ったときから、ずっとフラフラしっぱなしだ)。 それは田村隆一先生の…

銀座百点 号外52

商船三井のアルバイトを1月でやめても、ぼくはまだ学生だった。それどころか、その年の7月に銀座の洋品店フジヤ・マツムラに就職したあとも籍だけは大学に残してあり、どうやらまだアルバイト気分が抜けないでいたらしく、いやなら学生にもどるつもりだった…

銀座百点 号外51

山口瞳先生の「続・大日本酒乱乃会」にもどる。これを収めた「江分利満氏の華麗な生活」の初版は、昭和38年に発行されている。東京オリンピックの前年である。あの敗戦国日本も、見違えるほどの復興をとげており、やや余裕をもって戦後の混乱期をふり返るこ…

銀座百点 号外50

田村隆一詩集「新年の手紙」は、朝日新聞の夕刊で丸谷才一が田村の詩を時評に上らせた2カ月後の昭和48年3月30日、池田満寿夫の装幀で青土社から刊行された。だから、きっと、この詩集はすぐに評判になったにちがいない。2年後に、ぼくが「雁のたより」を読ん…