銀座百点 号外53

  ぼくは、昭和52年1月に商船三井のアルバイトをやめてから、7月中旬にフジヤ・マツムラに就職するまでのあいだ、ただひたすらフラフラしていた(おもえば、大学受験に失敗して浪人生活に入ったときから、ずっとフラフラしっぱなしだ)。
 それは田村隆一先生のお宅を訪問したあとのことだが、いつもの調子で百合ヶ丘の矢村海彦君の下宿を訪ねた。いつもの調子というのは、いっしょに昼飯を食べようとおもって、焼きそばのテイクアウトを持っていったのである。これは、いつでも、わりあい、よろこばれた。
 もう季節は薄暑をむかえようとしていた。矢村君は、留年して、たいてい下宿にいた。あと1単位だけだったから、大学には週に一二回顔をだすだけでよかったのだ。
 焼きそばを食べおわると、矢村君は、いつものようにコーヒーをいれてくれた。矢村君がコーヒーを豆からひいて、ネルの袋でドリップするあいだじゅう、ぼくはくだらない冗談をとばしていた。
 コーヒーが、テーブルに置かれた。同時に、矢村君が思い詰めた口調でいった。
「タカシマさん、そんな与太者みたいな生活、もうやめなよ」(与太者は、よたもん、と発音してください)