2004-01-01から1年間の記事一覧

有金君

有金君のはなしをします。 有金君はぼくより6歳年下でしたが、同じときに入社した同僚でした。彼にも訳があるらしく、あと1年で卒業なのに、なぜか中退したのです。父上が経営していた銀座のおにぎり屋さん(西銀座デパートのなかにあったといいます)が廃…

銀座のクリスマス

クレイグ・ライスの「大はずれ殺人事件」(小泉喜美子訳・早川書房)第一章には、1940年代のクリスマス前のシカゴの街がどんなにごったがえしていたか、描かれています。 「〈ボストン・ストア〉の大時計の真下で、群衆はほとんど身動きもできぬくらいに…

包むという仕事

新人が必要とされること、それは手伝いです。先輩の商売の手助けです。それには、物の場所とか、その使い方を知っていなくてはなりません。ぼくが最初におしえたことは、箱や、袋や、包装紙のしまってある場所でした。それからすぐに、包装のしかたをおしえ…

新人教育係

新人教育係、というのがあったわけではありませんが、たいていぼくがやっていました。あんなにつきっきりで砂糖部長にこづきまわされていたのが、何年かたって、おしえる立場になるなんて、なんかうそのようです。でも、ぼくは割合適任だったとおもっていま…

銀座の歯医者さん

銀座のM歯科は、三笠会館のむかいにありました。ビルの3階で、古いエレベーターにのってあがると、すぐ共同トイレがあります。砂糖部長がむかし、歯の治療にかよっていたとき、おかあさんのほうの先生が担当でした。ある日、なぜか水道の出がわるくて、洗お…

山口先生と私

アンクル・トリスのアニメーションが、むかし、テレビのコマーシャルで流れていたのを、おぼえていますか? 浪曲調だったり、ウエスタンだったり、町内のおじさんバージョンだったりしました。 サラリーマンのアンクル・トリスが仕事をおえて、同僚と会社を…

山口瞳さん

ある日(といっても、30年前のことですが)、矢村海彦君が、本とりかえっこしょう、といいました。なんだか気持のわるい申し出です。 ぼくは、本を買うとき、いちばんきれいなやつを選びます。 もちろん初版で、帯もちゃんとしていて、汚れていないものを…

吉行さんの黒いシャツ

「ユリイカ 詩と批評」11月号は、「吉行淳之介特集」です。もっとも、これは昭和56年11月発行ですから、古本屋でさがすしかありません。村松友視氏との対話「背広を着た『厄介』」が載っており、写真が添えられています。服装に話がおよんで、村松さん…

吉行先生とキョーフ

吉行淳之介先生に「恐・恐・恐怖対談」(昭和57年2月20日発行 新潮社)という対談集があります。「キョ、キョ、キョーフ、と口ごもり吃るところがミソである」と「あとがき」に書いておられますが、「恐怖対談」「恐怖・恐怖対談」とシリーズがつづいて…

吉行さんとコート

ある日、にこにこしながら、ドアをあけて吉行さんがはいってこられた。わきの下に、箱をかかえている。白地に赤い線のフジヤ・マツムラの箱だった。 山口さんからプレゼントされたんですが、と吉行さんはふたをあけて、なかから黒いスポーツシャツをとりだし…

文藝手帖の中身3

今回は、ハからです。敬称略。 〈ハ〉 橋本明治 服部良一 花登筐 林健太郎 林忠彦 〈ヒ〉 東山魁夷 平岩弓枝 〈フ〉 深田祐介 福田恆存 藤島泰輔 藤本義一 藤山愛一郎 〈ホ〉 北條秀司 細川隆元 〈マ〉 升田幸三 松下幸之助 松本清張 丸谷才一 丸山眞男 〈ミ…

文芸手帖の中身 2

前回からのつづきです。イから、敬称略。 〈イ〉 井上靖 井伏鱒二 伊勢正義 池波正太郎 石垣綾子 石川淳 石川達三 石坂洋次郎 糸川英夫 犬飼道子 入江泰吉 巌谷大四 〈ウ〉 宇野千代 宇野信夫 上前淳一郎 上村松篁 臼井吉見 梅原龍三郎 〈エ〉 江國滋 江藤淳…

文藝手帖の中身

手もとに1983年(昭和58年)の文藝手帖があります。丸谷才一先生が、どこかに、この手帖がいちばん使いやすい、と書いておられたのをみて、以来まねして使っています。同様に、万年筆のインキはペリカンのロイヤル・ブルーがいい、と山口瞳先生がおっしゃれ…

自動車外商

自動車外商は、行き先にもよりますが、だいたい1週間から10日くらい、まわってきます。ぼくが行っていたのは、おもに関西方面でしたが、先輩のなかには、ずいぶん遠くまで行くひともいました。そんなに車ででかけていると、事故にあわない? と、ときどきき…

砂糖部長と牛乳

名古屋の小児科医のお宅に自動車でうかがったときのことです。年に何回か、車に商品をつんで、地方へ外商にでかけることがありました。9月のはじめで、まだ残暑のきびしいころでした。小児科医のO氏は、もうご高齢でしたが、じつに健康で、毎日きちんと診察…

砂糖部長とワニのベルト

砂糖部長と綿貫君と女子社員が残りの当番の夜、閉店間際にお客様があった。これから飲みにゆくのに、ベルトがあまりお粗末だと、もてるものももてなくなっちゃうから、といって、ワニのベルトを1本選ばれた。フリーサイズで、バックルを外して余分な長さをカ…

砂糖部長

まだ綿貫君が勤めていたころだから、昭和50年代のなかごろだったろう。その夜は、砂糖部長と綿貫君と、それからもうひとりだれか女性が残りの当番だった。 砂糖部長は、名前と大違いで、シュガーレスな上司だった。ぼくは、入社の面接のとき、砂糖部長と社長…

本屋で

銀座の一日で、いちばん好きな時間というのは、ひとそれぞれずいぶん違っているでしょう。ぼくは、そうですね、残りの当番のひとにさよならをいって、タイムカードを押して街にでると、まだ空はなんとなくあかるくて、それでいてネオンや灯りがともりはじめ…

Y氏とぼく

入り口から二人の男がはいってきたとき、ぼくは、ヤバイかな、とおもった。 Y氏が椅子にかけられて、ご家族を待っておられるときだった。男たちは、黒っぽいスーツにネクタイをしめてるが、見るからに危険な感じがあって、二三歩はいって立ちどまった。入り…

ぼくの夏休み

それは、8月はじめ、繁忙期も一段落して、ようやく夏休みにはいった朝のことです。数年まえから、夏休みの計画を立てることを、あきらめていました。なぜって、せっかく旅行にでかけようと、ちゃんとはやくから予約をいれて、準備をすべてすませて、いざ出発…

シティー・ホッパー

シティー・ホッパーとは、町から町へとんであるくヒコーキのことをいうらしい(田中小実昌著「ふらふら」光文社文庫)。バーからバーへはしごしてあるく人を、バー・ホッパーと言うんだそうだ、とも書いてある。だらしない呑み助が、こうよばれると、ぐんと…

シャツ職人の加藤さん

大井の加藤さんの話をします。加藤さんは、シャツの職人さんでした。戦前のことですが、加藤さんのお父さんは、競馬の騎手の帽子をつくる人でした。しかし、息子にはもっと将来性のある仕事につかせたいと考えました。騎手の数には、限りがあります。けれど…

綿貫君

綿貫君は、2年くらいしてから、帰国した。本人の計算では、10年くらいいるつもりだったのだが、フランス人ばっかりで退屈しはじめたらしい。パリでは、アパルトマンを借りて、毎日、自転車にのって街じゅうを走りまわっていた、といった。ラーレーというイギ…

あいさつまわり

挨拶まわり、というのを、しょっちゅう、やっていたような気がします。盆だ、暮だ、正月だ、でご挨拶にうかがいます。それに、展示会が毎月のようにあって、そのつど案内状を届けに歩きました。車でまわるような遠距離は、なじみの個人タクシーを利用してい…

その日は、銀座でひとと会って、いつもより少し酒がまわっていたかもしれない。お互いに最終に間に合って、有楽町で別れた。京浜東北線の車内は混雑しており、途中の駅では降りるひとよりも乗るひとのほうが多い割には、すし詰めという具合にならず、着ぶく…

お多幸

お多幸の店長さんが、テレビで取材をうけていた。お多幸は、ソニー通りと並木通りをむすぶ路地にあった。ロバの耳のななめ向かいあたりだった。となりに鳥ぎんもあって、めんどくさいときは、このどちらかにはいることにしていた。いまは、路地もすっかりか…

喫茶店ロバの耳

銀座並木通りに面した古いビルの地下に、その喫茶店はありました。 せまい急な階段をおりると、厚いガラスのドアで、ちょっとちからをこめて押すと、すきまからヴォリュームいっぱいの音楽があふれだします。店内は、もうもうとしたタバコのけむりが、音楽と…

ピサの斜塔もこんなにかしいでいるのかしら。そうおもわせるくらい、スイスの2階はかしいでいた。2階の床、ということは、1階の天井のわけだけど、どう考えてもわざとそうしたとしかおもえない。ボールをおとせば、たちどころに一方の隅に転がっていっただろ…

銀座の路地

並木通りと西五番街通りをむすぶ路地の出口のあたりに、とってつけたような木の戸があって、それをあけると、すぐ目の前に急な階段があった。気をつけないと、下りてくるひとがいて、すれちがうのにとても難儀した。たいていはどちらかがもどりましたが、そ…

東京日記

私の乗った電車が三宅坂を降りて来て、日比谷の交叉点に停まると車掌が故障だからみんな降りてくれと云った。 内田百間の「東京日記 その一」は、こういう何気ない調子ではじまる。やがて怪異現象が起こるのだが、そんな風情は微塵も見えない。次第に空気の…