本屋で

 銀座の一日で、いちばん好きな時間というのは、ひとそれぞれずいぶん違っているでしょう。ぼくは、そうですね、残りの当番のひとにさよならをいって、タイムカードを押して街にでると、まだ空はなんとなくあかるくて、それでいてネオンや灯りがともりはじめていて、そろそろ夜の時間が幕をあけますよ、というようにバーやクラブにつとめる女性たちが肩をふってお店にいそいでいたり、ベテランのバーテンダーが最初のお客のための最初の一杯を、こころをこめてつくってカウンターにそっと置いたりしている、そんな夕方の時間帯です。
 もっとも、ぼくはお酒が飲めませんから、旭屋書店か近藤書店に寄って新刊の棚を眺めて家に帰るか、待ち合わせのあるときはロバの耳でまずいコーヒーの洗礼を受けてからどこかで食事をし、またロバの耳に戻って閉店までしゃべくったりしていました。毎日、昼休みにも本屋をのぞいて、ロバの耳でコーヒー(しまった、まずい、と付けるのを忘れた)を飲んでいるのに、夜にも同じことをしていたなんて、自分のことながらよくわかりません。
 旭屋書店では、よく社員と間違えられました。これこれの本はどこ? なんて突然知らないひとに尋ねられて、最初はびっくりしましたが、本のある場所がすぐわかったので、きちんと教えてあげました(でも、ひとに物を聞いておいて、ああそう、はないんじゃないですか、おばさん。きっと社員だったとしても感じわるいですよ)。
 で、その日も残りのひとたちに、ごゆっくり、と憎まれ口をたたいて、罵声をあびながら店を出ました。「夜は若く、彼も若かった」という、ウイリアムアイリッシュのミステリの一節みたいな気分て、おわかりでしょうか? ベテランのバーテンダーは二人目のお客をむかえているころです。ぼくは、お昼にはまだ入っていなかった新刊書が、もう並んでいるかもしれないとおもって書店に寄りました。
 さきに通路の奥のトイレにはいって、ほっとしてハンカチで手をふきながら戻ってくると、年配の男のひとが腰に手をあてて睨んでいます。ビルの管理のひとでしょうか。どこに行ってたんだ? 男のひとがききました。え? トイレですけど。この本かたずけとかなかったら、通るひとのじゃまだとおもわないのか? 通路の半分を、たしかに本の山が占拠しています。トイレにいそいだときは、目に入りませんでした。ええ、そうですね、じゃまです。だったら裏に運んどけよ。え? すぐにだぞ、といって、男のひとは消えました。だってぼくは本屋じゃありませんよ、という反論は、列車が出たあとにホームに駆け上がってきた乗客みたいに、行き場がなくてそのへんをうろうろしていました。この時間、店内にはレジの女性社員しかいないことはよく知っています。ぼくが、そっと逃げちゃっても、だれからも文句は出ないでしょう。なんといっても、ぼくは本屋の社員ではないのですから。しかし、ぼくは、通路の本を、ひとりで裏に運んでいました。
 どうでもいいけど、本てほんとに重いんですよ。いい加減運んでから、書店の顔見知りの女性社員のひとりが通りかかりました。毎日きてれば顔くらい覚えられています。本を運んでいるぼくをみて、あら、といって立ちどまりました。まあ当然ですよね。どうしたんですか? ぼくにもわからない、とこたえるべきですが、いいえ、ちょっと、たのまれたんで、とかいって、もうひとかかえ抱えました。そこへさっきの男がもどってきて、かたずいたか? とぼくにききました。女性社員は優秀なひとで、そのひとことで即座に訳を呑み込んだらしく、違うわよ、と男にきつい声でいいました。
 ぼくは地下鉄の改札のまえで、いつも家にカエルコールをしていました。時計を見ると、ずいぶん時間をくっています。ベテランのバーテンダーも、もう相手をしたお客の数はあいまいになっているでしょう。アイリッシュの一節は、「が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった」と、つづきます。電話のむこうでカミさんは怒っていました。
「また、あなた、本屋で油売ってたんでしょう!」