2006-01-01から1年間の記事一覧

おおみそかの思い出

ぼくが入社した時分は、年末は31日の夕方6時ごろまで営業していた(昭和52年当時のことです)。 大晦日は大掃除で、朝礼が終わるといっせいに店の掃除をはじめた。もちろん、事務所は事務所で掃除をした。自家用車は有金君の係だったから、有金君はもっぱら…

会長の思い出

ぼくが入社したとき、永福町の会長は長く休んでいた。なまけものだという先輩もいたが、躁鬱病の傾向があることがあとからわかった。躁のときにはおしゃべりが止まらなくなり、社員のだれかをつかまえて、お客様がみえてもなんのその、壁際の隅に相手を押し…

痛い経験

そのふたり連れは、陽気な調子でドアをあけて入ってきた。ふたりとも中東の人特有の顔立ちをしていた。日曜日で、出勤していたのは、鎌崎店長、釜本次長、それとぼくの3人だった。しかし、そのとき、釜本次長はなにか用事があって出かけていたので、店にはぼ…

綿貫君がゆく

きのう(12月5日)、綿貫君の奥様から喪中欠礼の葉書が届きました。 綿貫君は、今年の6月23日に永眠していました。行年53歳。 食道がんでした。 去年の秋ごろから、肩が痛いといいだしたそうです。医者に行ったら、と奥様がいうと、五十肩だからどうってこと…

つぶやき

早川書房から刊行された「世界SF全集」の第28巻は、1冊まるごと星新一で、タイトルは「作品 100」(1969年7月31日初版発行)。どれも選りすぐりの100篇のショート・ショートが収録されています。 その解説「ホシ氏の秘密」(石川喬司)に「ホシ氏の好きな小…

H氏の話 最終

ウンコ退職事件の原因となったあのH氏が、その後どうなったか、おたずねになるかたがあるかもしれない。ないかもしれないけれど、お話しします。 荻馬場さんが退職したあとも、性懲りもなく(といういいかたは、お客様には失礼だけど)H氏はしょっちゅうやっ…

H氏の話 3

翌日、午後から出社してみると、なんとなく事務所の雰囲気がおかしかった。 タイムカードを押してると、値札付けの豌豆さんが寄ってきて、そっと耳元でささやいた。 「釜本次長と荻馬場さんが喧嘩して、荻馬場さん、帰っちゃったの」 それが、あとで語りぐさ…

H氏の話 2

「あ、ウンコが落ちてる!」 と、見つけていったのは、荻馬場さんだった。 「ゲッ!」 と、ぼくはいった。「どうしよう?」 「どうしようか?」 と、荻馬場さんも、じっとウンコをみつめながら、いった。「きっと、手術した肛門がゆるんでいるのね。やーね、…

H氏の話 1

築地の大A新聞社の記者をしていたH氏は、リストラの嵐吹きすさぶなか、早期退社に手をあげた。定年まではあと何年かあったが、それまでの期間の給料の半額(ときいた気がするが、もっと多かったかもしれない)を、退職金に上乗せしてもらえることになったか…

11/3の続き

「頭にきて、ぼく、先に帰っちゃおうかとおもいましたよ」 憤慨のあまり、大きな眼をさらに見開いて、口をとんがらせるようにして有金君がいった。 「だって、いっしょにおうちにあがって、商売手伝うんじゃないの?」 ぼくは、半信半疑でたずねた。 「ちが…

自動者外商

最悪の自動車外商は、翌年の暮にやってきた。 例年12月は、お歳暮を兼ねた展示会だけのはずなのに、ぼくにもひとりで自動車外商に行くようにというお達しが出て、びっくりした(すでに砂糖部長と1回、釜本次長とは2回、外商に出ていたし、9月には大阪に2週間…

福岡君

「武蔵野美大の福岡君(仮名)のうちは、九州でラブホテルを経営していた。 母上が手腕家で、ずいぶん繁盛していたらしい(余談だが、手腕家というのを高校のとき、He is a man of ability. というように習った。「彼は手腕家である」。彼女が手腕家の場合で…

笑い話

「ドイツ軍て呼ばれる男がいるんです、八王子に」 自動車外商に出て、東名高速を西に向かっているとき、アルバイトの福岡君(仮名)が突然いった。 「なにそれ?」 福岡君は、武蔵野美術大学の学生で、九州から出てきて八王子に下宿していた。 いや、ついい…

蜜野さんの話1

蜜野庄助氏(仮名)のお屋敷は、海神の広い水田に面した丘陵の端っこに建っていた。 南側に水田がひろがって見える、瀟酒な赤レンガの建物で、南向きのリビングルームの壁が、総ガラス張りのつくりになっていた。視界もひらけ、光がさんさんとふりそそぐ、明…

小話のような話・続

ガラス張りの屋根の家は、秋に出来上がったのでした。秋から冬にかけて、東京も夜はよく晴れて、都心でもきれいな星が見られました。 ところが、季節が移って、春から夏になると、ガラスの屋根はさながら温室のようでした。暑くていられないくらいです。直射…

小話のような話

赤坂の料亭の女将さんが、青山斎場の向かいの土地に家を建てました。都心であっても閑静な場所で、なるほど穴場といえるかもしれません。 優秀な建築家にまかせた家は、超現代的で、屋根がガラス張りで、寝ながら星が見えました。 「え? 料亭がガラス張りな…

雑談

銀座の旦那衆の集まりで、幹事の呉服屋さんの社長が挨拶に立つと、最後に手を締めることになりました。 三本締めというのは、ご承知のように「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン」と手を打ちます。 シャシャシャンと3回打つのを3回繰…

続・田舎の道

蜜野庄助氏(仮名)が、海外旅行に行くけど、半ダース、いまからシャツを頼んでも間に合うかね、ときいた。 ぼくは、カレンダーを見て、なんとかしましょう、と安請け合いをした。そして、蜜野氏が帰ったあと、さっそく職人さんに確認をとり、期日までには仕…

田舎の道

さっきからずっと田んぼの中を歩いている。向こうのほうに岡のような台地がみえるが、そこへ上がってゆく道がない。歩いている一本道から、台地に向かって、いくらでもあぜ道が伸びてはいるが、どれも台地のへりにぶつかって、そこで消えてしまっている。田…

ある日の昼飯2

ぼくはもう、ぜんぜん食欲がなくなっていた。せっかくのカツ丼が、とてつもなく重く見えた。カツの切れは、口に入れても、なかなかのどにおりてゆかなかった。 すぐに蜜野氏のざるきしめんがきて、蜜野氏は音を立ててきしめんを吸い上げはじめた。太鼓腹がテ…

ある日の昼飯

その日は遅番だったので、銀座に来てから昼飯をどうしようかと考えた。遅番は、タイムカードを午後1時20分までに押せばよい。時計を見ると、まだ12時前だった。簡単に食事を済まして、ロバの耳でまずいコーヒーを飲んでゆくくらいの時間はある。そこで、数寄…

あの頃の車事情

昭和52年にはじめて見たときの花器沼先生の車は、グレーのトヨタのクラウンだった。 先生は、車はじっくりと乗るタイプのようで、20年のあいだに3台しか乗り換えなかった。 2番目は、濃紺のBMW。3番目は鶯色のベンツである。 オイルショックからバブルがはじ…

続々々 花器沼先生

花器沼先生は、大蔵省から京橋税務署に出向にきて、それから税理士になった。中堅で割合業績のよい都内の優良企業を何社かと、銀座を中心に中小の会社をけっこうたくさん顧客にもっていた。経理を見るだけのバーやキャバレーももちろんあって、本人の弁では…

続々・花器沼先生

花器沼先生が退院してからしばらくして、北海道から荷物が届いた。大きな段ボール箱が2個、かさねてしばってあった。送り主を見ると、花器沼先生だった。 ぼくは、お見舞いに病院に行く前に、花器沼先生が入院されたことを釜本次長に報告していた。 「お見舞…

続・花器沼先生 

花器沼先生(仮名)から電話があった。きょうは早番で5時半に帰れるぞ、とおもった矢先だった。 「タカシマくん? 花器沼です。 元気? そう。それはよかったね」(しりあがりの茨城弁) 「どうされたんですか? ずいぶん、お見えになりませんけど」 「どう…

花器沼先生

ドアをあけて、花器沼先生(仮名)が入ってきた。 「暑いなあ。おれんとこの事務所からここに来るのは、容易じゃないよー」(しりあがりの茨城弁) 花器沼先生は税理士さんで、7丁目の資生堂の裏に事務所があった。古いビルで、間口もせまく、エレベーターは…

夏のつぶやき

指揮者のT氏は、間もなくなくなった。ぼくを泥棒猫扱いした夫人は、若くして未亡人になった。 しかし、これは、ぼくの関知しないところの事柄である。そりゃあ、たまたま間が悪くて、ひどい扱いをされたことは事実だが、ぼくはキャリー(註、スティーヴン・…

はじめてのおつかい

入社してすぐの頃、はじめてのおつかいが集金だった。 鎌崎店長が、ちょっと集金してきてもらおうか、といってぼくをよんだ。それで、住所を名簿からひろって、地図をひろげてみた。地下鉄広尾駅が近そうで、日比谷線なら通勤定期が使えるから、ぼくが行くの…

ネクタイの柄

ネクタイの柄というのもいろいろあるが、趣味を反映して、どうしてもこれでなくてはいやだという場合がある。 京都の和菓子屋さんのご主人は、いっとき、象の柄に凝っていた。象なんかいくらでもありそうにおもうが、いざ頼まれて探すとなると、これが全然な…

キューちゃんのご両親

吉行淳之介著「贋食物誌」(昭和49年10月新潮社刊)は、目次を見ると食物の名が列記されているものの、実際にそのページをめくってみても、食物のこととはかけ離れていることのほうが多い。しかし、ちゃんとその食物に沿った話が載っていることもあり、「豚…