続・花器沼先生 

 花器沼先生(仮名)から電話があった。きょうは早番で5時半に帰れるぞ、とおもった矢先だった。
「タカシマくん? 花器沼です。 元気? そう。それはよかったね」(しりあがりの茨城弁)
「どうされたんですか? ずいぶん、お見えになりませんけど」
「どうもこうもないよ。あんたんとこは冷たいねー。おれがひと月も顔出さなかったら、どうされましたかって電話くらいしてきても罰は当たらないだろーよ」
「お忙しいのかとおもって。また、とつぜん現れて、不労所得で、空からお金がざくざく降ってきちゃったよー、っていわれるんだろうとおもっておりました」
「それどころじゃないよ。わたしね、いま、病院に入っているんです」
「えっ! どうされたんですか? 重体なんですか?」
「あんたもどーかしてるね。重体だったら電話なんかかけられないだろーよ」
「そうですよね。それで、どうされました?」
「よくぞきいてくれました。わたしね、ちょっと肝機能障害おこしましてね、新橋のJ医大付属病院に入院して治療しております」
「はあ。いつからですか?」
「もう一カ月になるかな。最初はみんな、めずらしがって替わりばんこに見舞いにきたけど、最近はめっきり減っちゃったから、もう退屈でたまんないよー」
「それじゃあ、うかがってもよろしければ、会社の帰りにお寄りします」
「いや、そんな、わざわざ来てくれなくてもいいんだけれど。あ、そう? そうですか。来たいっていうんなら、しょうがない、待ってるから。あ、いっとくけど、見舞いの果物とかお菓子とか、いらないよ。部屋じゅう一杯になってたのが、ようやく片付いたところだから、くれぐれもよろしく」
 ぼくは、ナースセンターに声をかけて、花器沼先生の部屋に向かった。ドアをノックすると、ご本人が開けてくれた。
「わざわざわるかったですね。なんか用事あったんじゃないの? だいじょうぶ? そう、それならいいけど。そこに腰かけて、冷蔵庫にプリンが入ってるから出して食べて。べつに汚くないから、病人のだって。遠慮すんなよー。食えってんだから、食えばいいだろ。うん? おいしい? そうでしょう。毎日銀座から買ってきてもらっているんです。わたしね、もう大変だったんですから。肝臓がわるいっていうから入院して、からだにいい食事をして、高カロリー高タンパク、とにかく栄養のあるものを食べろっていうんで、ずーっとそんなのばっかり食べていたら、こんどは糖尿だっていわれたんだよ。食事がいけなかったらしいんだ。数値が上がってさあ大変。まだ本格的なところまでいってないらしいんだけれども、疑似糖尿っていわれて。糖尿は栄養とりすぎちゃいけないんだよな。それで、急遽、糖尿病治療の献立に変わって、いままでとは正反対になっちゃった」
「でも、お顔の色はいいですよ」(ゴルフ焼けで、ほんとはよくわからなかった)
「そうかなー。そうやって慰めてくれるのは、きみだけだよ。鬼のかくらんなんていうやつまでいるんだから」
「でも、まだ、白目が黄色くにごってますよ」
「あんた、平気でやなこというなー。本人が気にしているのに」
「ずっとお忙しかったんですから、ちょっと一息入れろということじゃありませんか」
「たまにいいこというねー。そうおもって、呑気にしているの。おれももう年だし。病院で夜、ひとりで天井見て考えていると、人間、がつがつしないで、安全に着地できたら、それが一番だって、つくづくおもうよ」
 花器沼先生は、じきに退院した。そして、しばらくしてからやってきた。神妙な面持ちで、椅子に腰をおろすと、膝の上で両手の指を組んだ。
「しかし、なんだな」
そういって、 ゆっくりとまわりを見まわすと、とつぜん口もとがにんまりした。
「病院で寝ているあいだに、はっは、共同で購入した土地の処分がしてあってさ。やっぱり先見の明かねえ、まーた、空からお金がばらばら降ってきちゃったよー」(しりあがりの栃木弁)