2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

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筑摩書房版「内田百間集成」の第一巻に、平山三郎の「雑俎」と題する覚書が載っている。 先生の家の夕のお膳の前に、用事があって多い時になると週に二回、少なくて半月に一度は坐ることになる。 むかしは、昼近い朝食代わりに牛乳と英字ビスケットですませ…

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国有鉄道にヒマラヤ山系と呼ぶ職員がいて年来の入魂(じゅつこん)である。年は若いし邪魔にもならぬから、と云っては山系先生に失礼であるが、彼に同行を願おうかと思う。 「特別阿房列車」の冒頭近くで、内田百間にこう書かれているのは、元国鉄職員で作家…

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『「イヤダカラ、イヤダ」のお使いをして』のつづき。 1/12 多田様 栄造 ◯格別ノ御取計ライ誠ニ難有御座イマス ◯皆サンノ投票ニ依ル御選定ノ由ニテ特ニ忝ク存ジマス サレドモ、 ◯御辞退申シタイ ナゼカ ◯芸術院ト云フ会ニ這入ルノガイヤナノデス ナゼイヤカ …

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『「イヤダカラ、イヤダ」のお使いをして』のつづき。 多田教授は、芸術院総会が十二月七日に開催されることを聞き、その前に芸術院院長の高橋誠一郎に内田百間の意向を伝えなくてはならなくなった。どうも忙しいことになった。 電話番号簿で調べて、荻窪に…

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多田基という人は、百間先生の法政大学独逸語教授時代の教え子で、経済学者である。百間先生還暦後に「摩阿陀会」(まあだかい)という集まりを毎年催したが、その会の幹事でもあった。 正餐が始まる前に先生が話された用事の第一は、芸術院会員の辞退の見で…

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内田百間が芸術院会員を辞退したときのいきさつが、「小説新潮」昭和四六年九月号に載っている。多田基『「イヤダカラ、イヤダ」のお使いをして』。 内田百間先生をお訪ねするには、前もって先生の御都合を伺っていないと会ってもらえない。先生の方から私に…

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ギコウ氏の「随筆 内田百間」も、そろそろ大団円である。 さきにも書いたように、先生は頼みごとを絶対といってもいいほどに聞いて下さらない。人から何かしてくれといわれても、絶対にといってもいいほどに、そのことをしてやらない。自分がしたいことだけ…