2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

矢村君のこと その6

矢村海彦君がT新社に入社したときは、まったくの新人だから、ADと呼ばれる下働きの男の子からはじめた。現場で蹴飛ばされたり、叱りつけられて揉まれているうちに、いつしか実力を備えてゆくのは、どんな世界でも同じことだ。 矢村君が働いている様子は見た…

矢村君のこと その5

ある日、矢村海彦君の下宿に行くと、机に向かってなにか書いていた。ぼくが上がっていくと、万年筆の手をやすめて頭をあげ、こちらを見た。 「なにか書いているのか?」 と、ぼくはきいた。 矢村君は、椅子から立ち上がると、台所に歩いていって、ガスに火を…

矢村君のこと その4 (祝♪シリーズ化)

矢村海彦君は、早大在学中に、広告制作会社の試験を受けた。 ぼくは、その会社の名前も、そういう仕事があるということも、まったく知らなかった(まあ、知らないことのほうが多いからね)。 募集していたのは、スタイリストという職種だった。 名前を呼ばれ…

矢村君のこと その3(シリーズ化する・・かも)

矢村海彦君とは、商船三井のフェリー部で出会った。 当時、東京と北海道の苫小牧を結ぶ、日本沿海フェリーというのが運行していた。カーフェリー乗り場は有明埠頭にあった。まだお台場もなかったし、埋め立て地の夢の島がすぐそばで、いわゆる陸の孤島のよう…

矢村君のこと その2

矢村海彦君は、佐賀の出身だった。2年浪人して早稲田大学商学部に入学した。 浪人1年目は、上京して都内の予備校に通った。通った、というのは言葉のあやで、正確には通わないで、地図をたよりに東京じゅう、うかれて、はしゃいで、歩きまわった。地図は、父…

矢村君のこと

伊丹十三のナレーションで、昔、味の素のテレビCMがあった。 「相模湾の鯵と、大分県のカボスが、東京のわが家の食卓で出会うという、奇跡的な、本来ならありうべからざる偶然のめぐりあわせがナンタラカンタラで、絶妙な取り合わせとなったのですね、これが…

田村隆一さんのこと

砂糖部長に田村隆一の「詩人のノート」を貸した。 この本は、箱に入っていないから、部長夫人が箱を踏みつぶす気づかいはない。 ソフトカヴァーの表紙をめくると、見返しにサインペンで署名がある。まず、ぼくの名前が書いてあって、となりに「1977年2月27日…