矢村君のこと その3(シリーズ化する・・かも)

 矢村海彦君とは、商船三井のフェリー部で出会った。
 当時、東京と北海道の苫小牧を結ぶ、日本沿海フェリーというのが運行していた。カーフェリー乗り場は有明埠頭にあった。まだお台場もなかったし、埋め立て地の夢の島がすぐそばで、いわゆる陸の孤島のような場所にフェリーターミナルはあったのだった。
 2トンまでの重量の自動車を、京橋のフェリー予約センターで受付け、それより大きい、いわゆるトラックは、有明のターミナルで受付けていた。ターミナル勤務の社員たちは、だから一見あらくれ者のように見えた。気の荒い長距離トラックの運転手を毎日相手にしていれば、それも無理はなかった。しかし、むくつけき男も、京橋の予約センターになにか用事で顔を出すと、ずいぶんひかえめだった。女子社員にからかわれて、顔をあからめていた。獰猛な虎が、借りてきた猫に見えた。
 フェリーで東京苫小牧間は、約30時間かかった。一昼夜以上である。だったら、陸路を行けばいいじゃないか、とおもうひとがあるかもしれないが、ガソリン代もかかるし、途中で眠らなければならないのだから、結局いっしょなのである。むしろ、同じ費用がかかるなら、運転せずにずっと寝て行ったほうが利口というものである。
 はじめ、矢村君はターミナル勤務だった。夏の終わりまでやって、いったんアルバイトをやめていた。ところが、総務部の安田さんからはがきで(註、彼のアパートの部屋には、電話がなかった)、もし時間が許すなら、予約センターでもうひとり人手がほしいから、ぜひやってほしい、といってきたのだそうだった。
 矢村君は、実家からの仕送りだけでは、小遣いが十分とはいえず(なんたって、本代がかかるし、けっこうグルメだしね)、いつもなにかしらアルバイトをしていた。だから、約束の期限がきて終わりだとおもっていたアルバイトが、また向こうからやってきて、ほっとしていたかもしれない。
 ぼくは、夏が終わっても、あいかわらず予約センターにいて、女子社員にかこまれて、ひとりホクホクしていた。そこへ、矢村君がやってきたわけである。
 矢村君は、ビリーバンバンによく似ていた。よく似てるね、というと、ええ、あれは従兄弟です、といった。
「へえー、本当? なるほど、それなら似てるはずだ」
 と、ぼくはおもわずいった。
「ウソです」
 即座に矢村君は否定した。
 この、目の細い西郷隆盛のような男は、じつに端倪すべからざる頭脳の持ち主であることが、じきにわかった。
(つづく)