矢村君のこと その4 (祝♪シリーズ化)

 矢村海彦君は、早大在学中に、広告制作会社の試験を受けた。
 ぼくは、その会社の名前も、そういう仕事があるということも、まったく知らなかった(まあ、知らないことのほうが多いからね)。
 募集していたのは、スタイリストという職種だった。
 名前を呼ばれて、ドアをあけて部屋のなかに入ると、机の向こうに若い男性と女性がすわっていた。椅子がひとつ置いてあって、矢村君はすすめられて腰かけた。
 男性は長髪で、Tシャツにジーンズ姿だった。女性のほうは短髪で、やはりTシャツにジーンズをはいていた。面接を受けに行った矢村君は、きちんとブレザー(もちろん、VANだよ)にネクタイをしめていたから、ふたりと向かい合うと、なんだかしっくりこなかった。
 男性のほうが、矢村君の履歴書を見て、へえ、すごいじゃん、といった。すると女性が、なになに、といって男性の前にある履歴書をのぞきこんだ。
「ほんとだ。すっごーい、早稲田の商学部だって」
「こんな学歴あるのに、もったいないよねスタイリストなんて」
「そうだよ、そうだよ」
「やっぱ、もっと向いてる仕事ありそうだもんね」
「そうそう」
「もったいないよね」
商学部でしょ? 大会社とかさ、就職先、いくらでもありそうじゃない」
「そうおもうのが普通だろ。ぼくも、そうおもうもん」
「こういう人、うちでしばっちゃ、わるいわね」
「うんうん」
 男女は、ふたりでばかりおしゃべりして、矢村君にはほとんど質問しなかった。もちろん(というのは、失礼かな)、矢村君は面接で落ちた。ばかにしてらあ、と矢村君はいった。矢村君は、敗因はVANのジャケットだったとおもっている。
 あれから30年、矢村君が社長をしている夜番工房(仮名)の入っているビルのとなりに、あのとき矢村君を落とした広告制作会社、レフトパブリシティ(仮名)が入ったビルがある。べつに不思議なことはない、それが銀座だから。
(つづく)