2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

銀座百点 号外67

吉行淳之介の別の年譜を見てみる(講談社文芸文庫「吉行淳之介対談集・やわらかい話」所収)。筑摩版新鋭文学叢書の年譜と見くらべると、吉行淳之介という作家がもっと違って見えてくるだろう。 一九二四年(大正一三年) 四月十三日(戸籍では四月一日の早…

銀座百点 号外66

ぼくは、第三の新人のなかでは、はじめ安岡章太郎に結構惹かれた。 しかし、安岡章太郎の感覚には親近感をおぼえながら、なんだか違和感があった。違和感は、文字通り感じであって、それならなにが違うのかときかれても、うまく答えられない。だから、安岡自…

銀座百点 号外65

昭和二八年(一九五三)「三世社を退社し、春から夏にかけて、千葉県佐原氏の病院で療養生活を送る。ABC放送のラジオ原稿を書いて、生計を立てた。一一月、清瀬病院に入院。一二月、「治療」を『群像』新年号に発表。翌二九年一月、左肺区域切除手術を受けた…

銀座百点 号外64

昭和二一年(一九四六)「都内柿ノ木坂に下宿して、大学に通った。『葦』は、翌二二年に第三号を出して終刊となったが、『世代』『新思潮』(第十五次)同人となった。窮乏して、家庭教師や、女学校の講師、雑誌社のアルバイトなどやった。翌二二年秋、大学…

銀座百点 号外63

吉行淳之介の「年譜」である。筑摩書房版「新鋭文学叢書5 吉行淳之介集」による。 安岡正太郎の年譜と見比べるとおもしろいかもしれない。 大正一三年(一九二四)「四月一三日、岡山市に生れた。三歳のとき、父母とともに東京市に移住した。戸籍には、四月…

銀座百点 号外62

「年譜」に記載はないが、安岡章太郎は戦後、慶応義塾大学に復学し、1948年(昭和23年)に文学部英文学科を28歳で卒業している。ちょうど、脊椎カリエスで寝たり起きたりしていた時期で、肉体的・精神的苦痛はちょっと口ではいいあらわせないほどだったろう…