銀座百点 号外66

 ぼくは、第三の新人のなかでは、はじめ安岡章太郎に結構惹かれた。
 しかし、安岡章太郎の感覚には親近感をおぼえながら、なんだか違和感があった。違和感は、文字通り感じであって、それならなにが違うのかときかれても、うまく答えられない。だから、安岡自身が「かなり積極的に梶井基次郎を模倣し、イヤイヤながら太宰治をマネした」といっているのとたぶん同じ気分で、わりとイヤイヤながら安岡の文章をまねした(このイヤイヤながらのニュアンスは、いわなくてもわかる人にはわかる。わからない人には、いってもわからない)。
 安岡章太郎吉行淳之介のこの「年譜」を見れば、そのときの気持がよみがえる。吉行淳之介が、この「年譜」ではすこしもおもしろくない(もちろん、年譜は年譜にすぎないのだけれど)。村上春樹は「若い読者のための小説案内」のなかで吉行淳之介を採りあげて、吉行淳之介は文章がうまいといわれているが自分にはそうはおもえない、といって「年譜」の昭和三〇年のくだりを引用し、「生計を立てる」という言葉が三カ所たてつづけに使われていることをその理由にあげた(当時はぼくもそんなふうに感じたが、あらためて村上に指摘されると、なんとなくむかつく)。
 やがて、安岡章太郎にたいする違和感がふくらみきったとき、偶然吉行淳之介を読みかえした。乾いた土が水を吸いこむように、自分の気持が見る見る潤うのを感じた。