2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

市川さんの話 10

市川さんが、突然、腸捻転になりました。 命にかかわるというので、緊急手術しましたが、お腹に、たてに長く、縫った痕ができました。 なんだか、お腹にファスナーがついているように見えます。 「これが、ほんとにファスナーならね」 と、身動きできないベ…

市川さんの話 9 

市川さんはおしゃれですが、どうも感覚的にぼくなんかとは違っています。 たとえば、なくなった俳優の三橋達也さんのおしゃれを想い浮かべてください。派手なジャケットの下に、スポーツシャツにアスコットタイなんか締めています。ところが、ぼくはアイヴィ…

市川さんの話 8 (もう完全にぼくの思い出話)

「POPEYE」の創刊号が発売されたのは、1976年6月のことでした。ぼくは、矢村海彦君から教えられて、4号目か5号目から買いはじめました。すぐに創刊号を除くバックナンバーは揃ったのですが、創刊号は発行部数がすくなく、手放すひとも滅多にいなかったので、…

市川さんの話 7 (のつもりが、ぼくの銀座の思い出)

「銀座界隈ドキドキの日々」という本があります。著者は、和田誠(じつは、ぼくは、和田先生のことを呼び捨てにできない立場にあるのですが、失礼してこう書かせていただくことにします)。「銀座百点」というタウン誌に2年にわたって連載され、文藝春秋から…

市川さんの話 6 (でもほぼ余談)

ここでぼくの話をします。退屈でしょうが、おつき合いください(おいそぎの方は、ずっと飛んで、「ようやく本題に入ります」からお読みください)。 高校2年の終わりに、進路によってクラス分けがありました。ぼくのいた高校は、ほとんどが大学進学を希望し…

市川さんの話 5

市川さんが職人になってもらっていたお給料は、当時の大卒の4倍でした。 そのころの市川さんの夢は、銀座にアトリエをもって横浜の山手に家を建てることだったそうです。それだけの収入があれば、将来けっして夢ではありませんでした。しかし、市川さんは江…