市川さんの話 9 

 市川さんはおしゃれですが、どうも感覚的にぼくなんかとは違っています。
 たとえば、なくなった俳優の三橋達也さんのおしゃれを想い浮かべてください。派手なジャケットの下に、スポーツシャツにアスコットタイなんか締めています。ところが、ぼくはアイヴィで育ちましたから、ボタンダウンのシャツにノーネクタイだと、襟もとに白のTシャツをのぞかせたりします。市川さんには、これが許せないようです。
「肌着が見えるのって、どうかとおもうね」なんて嫌みをいいます。「それは、下着ですよね。下着が見えちゃあ、まずいよね」
 ぼくにいわせれば、アスコットタイのほうがうんと古くさくて、ケーリー・グラントくらいまで遡るようにおもえます。たしかにケーリー・グラントはおしゃれですが、ヒッチコックの『泥棒成金』(原題・To Catch a Thief)をみればわかるとおり、白いシャツの下に、たぶん紺地に白の水玉のアスコットタイをしていて(モノクロだから色までわからない)、いかにもちょっと古めかしい。
 『北北西に進路をとれ』(原題・North by Northwest)の最後のほうの場面、ラシュモア山でもみあって争うところでは、彼はノーネクタイです。いま、『ヒッチコックを読む』(1980年フィルムアート社刊)をひらいてみましたが、写真では襟もとがよくみえません。そういえば、思い出しました。ヒッチコックではありませんが、『シャレード』(スタンリー・ドネン監督、原題・Charade)のなかで、ケーリー・グラントが服のままシャワーを浴びるシーンがありましたが、彼はシャツの下に肌着をつけていませんでした。これなら、アスコットタイなしでも、肌着がみえることはありませんね。
 ここまでくると、シャツの下に肌着を着ることは、おしゃれかおしゃれじゃないか、という議論に発展しそうです。おしゃれを自任するひとほど、肌着をつけないことを自慢します。
「日本の夏は暑いから、シャツ1枚だと汗をかいて、肌が透けてみえるでしょ。いやだね、ああいうの。それくらいなら、下着をつけたほうがいいですよ。直接肌にくっつかなくて、さっぱりするしね」
 ぼくは、『卒業』(マイク・ニコルズ監督、原題・The Graduate)のダスティン・ホフマンが好きで、だからTシャツとトランクス派です。
「Tシャツはいいの」
 と、市川さんはいいます。
「でも、喉もとに見えるのは駄目だといってるの、あたしは。だけど、そうやって、あなたみたいに、あたしらのあとのひとたちは、平気で下着見せちゃうんだから、断絶ってやつですかねえ」
「だけど、ぼくは着ないけど、ランニングシャツは気持わるいな、透けてみえると」
 と、ぼくはいいました。
「うん、あたしも、あれは気持わるい。あれだけは、やめてほしいね。日本人は、とくに中年以降は、ランニングシャツ、似合わないからねー。だから、ランニング着るくらいなら、Tシャツ着ればいいんですよ。あたしは断然Tシャツですね」
「ぼくもTシャツですよ、ずっと」
「あたしたちは、なんだか気が合いますねえ」
(かっこ)