2007-01-01から1年間の記事一覧

ペーパーバックライター

今年の夏、「ギンザ プラスワン」が本になりました。ぼくは、畏敬する元編集者のO氏(註、2005-01-09「O青年 その1」〜2005-01-10「O青年 その2」参照)にも1冊、手紙を付けて恵贈しました。 「前略ごめんください。 ご無沙汰いたしておりますが、O様にはご…

「鉄塔 武蔵野線」その後

「鉄塔 武蔵野線」という小説のことを、以前書きました(註。2005-02-13「鉄塔 武蔵野線 その1」〜2005-02-27「鉄塔 武蔵野線3」参照)。 いま、手もとに1枚の葉書があります。ブルーの空にそびえ立つ鉄塔の勇姿が写真になって、絵葉書になっており、写真の…

ラーメンの値段

釜本次長にくっついて、広島に自動車外商に行った。 福山城の近くに福山グランドホテルというホテルがあって、福山に行くといつもそこに泊まっていた。顧客がホテルのオーナーで、宿泊した部屋を商売に使わせてもらえたからである(梅ちゃんが寝小便したのは…

O氏のこと 終章

ぼくは、すこし勘違いをしていた。O氏は、まったく返済しなかったわけではなく、荻馬場さんがどういう方法かで請求して、あと残高16万円というところまで、なんとか漕ぎ着けていたのだった。荻馬場さんが突然辞めたので、その請求手段がわからなくなって、請…

O氏のこと その4

荒川区役所の窓口で、O氏の住民票を請求した。申請理由をきかれたので、借金の取り立て、と書いた。係の人は、申請書に眼を落としてから、眼鏡をずり上げるようにして、怪訝そうな面持ちでぼくを見た。 夜逃げしたはずなのに、住民票はちゃんと新しい住所に…

O氏のこと その3

ぼくは、西日暮里駅で電車を降りた。晩春の暑いくらいの日だった。住所と地図をたよりに、O氏のお宅を探して訪問するためである。直接会ってご相談するしか手がないようにおもえたからだ。 いくつかの路地を曲がって、すぐにその住所は見つかった。しかし、…

O氏のこと その2

O氏は、おしゃれな方だった。上背もあり、恰幅もよくて、やや童顔の柔和な顔に、歯切れよい東京弁がよく似合った。ときどき、伝法な口調がまじって、それはそれで粋な感じがした。 いつも着るのはピカ一洋服店(仮名)の洋服に決まっていて、仮縫いのときや…

O氏のこと

O氏は、ピカ一洋品店の顧客だった。白のスーツを着て銀座を歩きたい、といってピカ一の番頭さんを困らせたことがある。O氏が銀座に顔を出すのはたいてい夜だったから、そんな色のスーツを着て歩いていたら、ヤクザと間違えられかねない、というのがその理由…

矢村君のこと その14

鎌崎次長と喧嘩して、荻馬場さんがさっさと会社を辞めてしまったあとのことだ。荻馬場さんのコゲツキが、2件あることが判明した。すぐに社長から、回収するように指示が出た。 ぼくは、初夏の南千住を歩いていた。新たに開発される予定の広大な土地が、まだ…

矢村君のこと その13

月刊「PLAY BOY日本版」創刊号に、ライツミノルタCLの広告も載っていたのではなかったか。 ライツミノルタCLは、ドイツと日本の技術提携により世に出たカメラである。 設計はドイツのライツが行い、製造を日本のミノルタが担当した。 当然、日本製なのだけれ…

矢村君のこと その12

そのカメラは、月刊「PLAYBOY日本版」創刊号(1975年7月1日発行)の広告のページではじめて見たのだったとおもう。岡村昭彦の愛機、と見出しにあったように記憶している。 よく使い込んだ2台のカメラが、並んで写っていた。ニコンFと、ライカM4。どちらも黒…

矢村君のこと その11

矢村海彦君は、自動車が好きだ。「CAR GRAPHIC」という雑誌は、高校の頃から読んでいて、佐賀の実家の押し入れの本棚には、創刊された1962年4月以来のバックナンバーが 整然と並んでいる筈である。 あるとき、いすずベレットGTの運転の仕方を、丁寧に教えて…

矢村君のこと その10

1970年代後半、渋谷の百軒店近くの路地の奥に、ぼくらが泥棒市と呼んでいた古着屋があった。ぼくらというのは、矢村君と田西君と、それからぼくだ。空き地のようなところに、囲いもないようなバラック建ての店が3軒、軒を並べていた。古着だけではなく、ちょ…

矢村君のこと その9

万年筆が2本、立て続けに壊れた。いくら大事に使っていても、すこしずつくたびれてゆくのだろう、経年変化という言葉が示すように。 ペリカンのMK30という万年筆を、雑誌で梅田晴夫という人がほめているのを読んで、さっそく購入した。1970年のことである。…

矢村君のこと その8

矢村君は、商船三井でアルバイトしていたとき、好意を寄せていた年上の美人社員とデートをすることになった。 ふたりは、西新宿の高層ホテルのレストランで食事をした。 高層階の窓際の席だった。 メニューもワインも彼が選んだ。 頭の回転の速い女性で、と…

矢村君のこと その7

矢村海彦君が書いた小説は、レーサーが主人公だった。レーサーといっても、ワークスお抱えのリッチなドライバーなどとは程遠い、町の自動車修理工場の若い経営者だった。 彼は、1年間必死に働いて、爪を灯すようにして貯めた金を元手に、中古のレーシングカ…

矢村君のこと その6

矢村海彦君がT新社に入社したときは、まったくの新人だから、ADと呼ばれる下働きの男の子からはじめた。現場で蹴飛ばされたり、叱りつけられて揉まれているうちに、いつしか実力を備えてゆくのは、どんな世界でも同じことだ。 矢村君が働いている様子は見た…

矢村君のこと その5

ある日、矢村海彦君の下宿に行くと、机に向かってなにか書いていた。ぼくが上がっていくと、万年筆の手をやすめて頭をあげ、こちらを見た。 「なにか書いているのか?」 と、ぼくはきいた。 矢村君は、椅子から立ち上がると、台所に歩いていって、ガスに火を…

矢村君のこと その4 (祝♪シリーズ化)

矢村海彦君は、早大在学中に、広告制作会社の試験を受けた。 ぼくは、その会社の名前も、そういう仕事があるということも、まったく知らなかった(まあ、知らないことのほうが多いからね)。 募集していたのは、スタイリストという職種だった。 名前を呼ばれ…

矢村君のこと その3(シリーズ化する・・かも)

矢村海彦君とは、商船三井のフェリー部で出会った。 当時、東京と北海道の苫小牧を結ぶ、日本沿海フェリーというのが運行していた。カーフェリー乗り場は有明埠頭にあった。まだお台場もなかったし、埋め立て地の夢の島がすぐそばで、いわゆる陸の孤島のよう…

矢村君のこと その2

矢村海彦君は、佐賀の出身だった。2年浪人して早稲田大学商学部に入学した。 浪人1年目は、上京して都内の予備校に通った。通った、というのは言葉のあやで、正確には通わないで、地図をたよりに東京じゅう、うかれて、はしゃいで、歩きまわった。地図は、父…

矢村君のこと

伊丹十三のナレーションで、昔、味の素のテレビCMがあった。 「相模湾の鯵と、大分県のカボスが、東京のわが家の食卓で出会うという、奇跡的な、本来ならありうべからざる偶然のめぐりあわせがナンタラカンタラで、絶妙な取り合わせとなったのですね、これが…

田村隆一さんのこと

砂糖部長に田村隆一の「詩人のノート」を貸した。 この本は、箱に入っていないから、部長夫人が箱を踏みつぶす気づかいはない。 ソフトカヴァーの表紙をめくると、見返しにサインペンで署名がある。まず、ぼくの名前が書いてあって、となりに「1977年2月27日…

罪と赦し

砂糖部長に遠藤周作の「おバカさん」を貸した。箱入りの本だから、箱のまま渡した。装丁は柳原良平で、主人公のフランス人と、その足もとにまとわりつく犬が、ユーモラスに描かれていた。テーマは、人間の罪とそれに対する無償の愛(赦し)ということのよう…

なぞの支払い証明書

集金用の領収書には、端のところに支払い証明書というものが付いていました。これは、昔、全額いただいたのに、きちんと入金せずに自分の小遣いに流用した社員がいたからです。その社員は、給料日になると、自分でつかった分だけ、あらたに入金して穴を埋め…

有金君の災難

その大阪の大学講師夫妻が店に立ち寄ったとき、上の4階ホールで展示会を催していたのは、偶然だとおもう。 大阪で知り合ったのか、有金君は親しそうに挨拶してから、会場に案内した。 買い物がすんだ頃は、もう外は暗くなっていた。 食事はホテルにもどって…

有金君の怖かった話

福生の駅前で待っていると、1台の黒塗りのベンツがすーっと寄ってきたんですよ、と有金君はいった。 すぐに運転していた男がおりてきて、ぼくの前までくると、ひらいた両膝に手をおいて、半分腰をかがめるようにして、でも頭はぜんぜん下げない仕方で挨拶し…

ありがとう、神様

グリーンジャンボ宝くじのシーズンに、 花器沼先生が店にやってきて、椅子に腰かけると、短い足をブラブラさせた。そして、ぼくに、 「あんた、ジャンボ宝くじ買った?」 と、茨城弁できいた。 「ええ、10枚ばかり、近藤書店のとなりで」 「当たんないほうが…

歯つながり

山口瞳先生御夫妻が、お中元を選びにみえた。 「いつもどおり、イギリス製の靴下の2足入りセットにしようかな」 山口先生はそうおっしゃって、名簿で進物先を確認された。 数が決まれば、あとは箱詰めして、ご指定の日にちに発送すればよい。先生は、いつも…

終・ぼくの歯の話

ぼくが、しっかりと眼を閉じて口をあけていると、看護士さんの手がぼくの顎を強くおさえました。それから鈴木先生が、なにか器具を口のなかに入れるのを感じました。そして、間もなく、 「はい、とれました」 と、声がしたので眼をあけると、小さな皿に歯の…