矢村君のこと その10

 1970年代後半、渋谷の百軒店近くの路地の奥に、ぼくらが泥棒市と呼んでいた古着屋があった。ぼくらというのは、矢村君と田西君と、それからぼくだ。空き地のようなところに、囲いもないようなバラック建ての店が3軒、軒を並べていた。古着だけではなく、ちょっとした小物も置いてあった。
矢村海彦君は、商船三井でアルバイトをしていたとき、ここでロレックスのオイスターパペチュアルを買ったことがあった。ステンレススチールの、ロレックスではいちばん安いタイプの時計だが、それだって立派なロレックスだった。矢村君の太い手首には、大振りのロレックスがよく似合った。
 子どもの頃、汽車を見に連れて行かれて、バンザイバンザイ、と通過する列車に手を振ったりすると、後年、汽車を見ると血が騒ぐ大人になったりするそうだが、矢村君もその口かもしれない。彼の場合は、ロレックスだった。
 ロレックスは、ヨーロッパでは後発の時計メーカーである。だから、先行するメーカーに追いつき追い越すために、なみなみならぬ努力をした。自動巻の改良もそのひとつである(ロレックスがめざしたのは、オイスターケース(防水)、パーペチュアル(自動巻)、クロノメータ(精度)でした)。
 それまでの手巻きのムーブメントに自動巻の機構を加えたため、ムーブメントが厚くなり、その分を裏蓋をふくらませて処理したので、その形からバブルバック(泡のような丸い裏蓋)という愛称で呼ばれるようになった時計が、1935年頃から作られはじめた。割と人気を集めて、1950年代のなかばまで、ほぼ20年以上作りつづけられた。その間、いろんな試行錯誤がなされたようで、デザインにもさまざまなバリエーションがある。同じ機械が入っていても、顔が違うのである。
 たとえば、文字盤が黒かったり(ブラックダイヤル)、白かったり(ホワイトダイヤル)、ピンク(ピンクダイヤル)だったりした。しかも、インデックスがくさびだったり、アラビア数字だったり、ローマ数字だったり、それらを混ぜて使用したりしている。文字盤の上半分がローマ数字で、下半分がアラビヤ数字なんてのまである(ユニークダイヤル)。
 そして、ケースもステンレススチール、ステンレススチールとゴールドのコンビ、それからソリッドゴールドと何種類も作られたから、これらを組み合わせただけでも気が遠くなるくらいバラエティーに富んでしまった。アンティックのバブルバックにふたつとして同じものが見られないのは、驚くべきことである。
 矢村君は、このバブルバックを4個持っている。4個で車が1台買えるという。
「これが一番高いやつです」
 そういって腕に巻かれたやつを自慢げに見せたが、いくら黒い文字盤にユニークダイヤルかもしれないけれど、なんでステンレスのものがピンクゴールドより高価なのか、よくわからない。よくわからないものを、4個も持っている。それでいて、よく進んだり遅れたりするというのだから、余計理解に苦しむ。バカじゃないのか。
 ぼくもバカでいいから、形見に1個ください。