コート 10

 渋谷の百軒店の路地の奥に、ぼくたちが泥棒市と呼んでいた古着屋があった。いまはスーパーかなにかになっている場所だ。その頃は、空き地にテントを張って、3、4軒の店があった。昭和50年代のはじめのことである。
 広告制作会社の社長になった矢村海彦君は、いちばん手前の店でロレックスの腕時計を買った。ガラスケースが置いてあって、中古の時計も商っていたのだ。
 その時計はロレックスのオイスターケースのなかでも廉価版の部類だったが、からだが大きく、腕も太い矢村君の手首に、それは燦然と輝いていた。
 ロレックスというのは、いまでも相変わらずそうだが、その頃も憧れの的だった。矢村君がロレックスを買ったのは、きっともう就職していて、学生のときのように生活費を気にしながら暮らさなくてもよくなっていたからだろう。それに、泥棒市のロレックスは、嘘のように安かった(矢村君の選んだやつはステンレスの側で、並んでいたなかでもいちばん安く、3万円くらいだった)。
 子どもの頃に、電車に向かってバンザイを三唱したりすると、長じて鉄道マニヤ(オタク)になって全国の鉄道路線を制覇せずにいられなくなったりするから注意しなくてはいけないのだが、矢村君の場合にもそれがいえる。ロレックスのオイスター、しかもバブルバックと呼ばれる旧式の機種に惹かれて、5個も6個も購入するハメになった。ほとんど病気である。あの日の、泥棒市のロレックスがいけないのだ。
 バブルバックというのは、手巻きから自動巻に移行する段階で、増えた機械部品を収めるのに本体を2階建てにした機種のことで、厚みが増した分、裏蓋を泡のように丸くふくらましてあった。時計の文字盤の大きさを変えずに部品を増やしたため、そんな形になった。程度のよいものは、いまアンティークショップで100万も200万もする(矢村君のは、1個5〜60万円くらいのものか)。
 矢村君は、奥の左側の店でコートも買っている。イギリスのアクアスキュータムのステンカラー・コートである。ちょっとくたびれていたが、そのハーゼル色のコートは、矢村君によく似合った。
 ところで、ぼくは、その奥の左側の店で新品のバーバリーのコートを手に入れた。色は紺だった。本当はぼくもハーゼルみたいな色がほしかったが、ないものねだりをしてもはじまらない。なにしろ、格安でサイズがぴったりだったのだ。難をいえば、防寒用のライナー(ほら、ファスナーで取り外しのできる裏)が付いていなかったので、真冬にはちょっと心配だった。
 翌年の正月4日から、ぼくはそれを着て大阪支店に出向することになった。心配は的中して、ぼくは大阪で震えることになる。しかし、もっと震えたのは、大阪支店にいた女子社員に接近遭遇したことだ。ぼくより三つ年上で、バツイチで、痩せて背の高い、大きな眼をした美人だった。ぼくは恋におちた。