綴じ込みページ 猫-209

 ブラックフリースときいて、ははん、とすぐにわかる人はどれくらいいるだろう。でも、ブルックスブラザーズときけば、たいていの人が知っているに違いない。
 ぼくがはじめてブルックスブラザーズの品物を眼にしたのは、昭和五十二年のことだ。まだ正式には輸入されていないときで、都立大学近くの小さなブティックに、個人輸入仕入れた商品がほそぼそと並んでいた。たしか「レイン・クロージング」という名前の店だった。
 この店のことを教えてくれたのは「ポパイ」という雑誌である。「ポパイ」は、商船三井でいっしょにアルバイトをしていた矢村海彦君が教えてくれた。矢村君には、もうひとつ、植草甚一の存在をおそわった。


 ぼくは、この店で、ネクタイを二本買った。あまりお客の入らない店で、最初の仕入れのネクタイが結構売れ残って、セールになったからである。でなければ、エルメスのネクタイが九千八百円のときに、ここは並行輸入のネクタイに一万何千円かつけていたから、とても買えっこなかった。
 どちらも縞柄で、一本は紺地に黄色のストライプ、もう一本は紺地に赤と白のストライプで、ロンドンストライプくらいの縞が等間隔で交互に入っていた。しかし、最悪なことに、汗をかいたら色落ちした。白のボタンダウンシャツが、赤く染まった。


 2007年秋に、ブルックスブラザーズは、デザイナーにトム・ブラウンを迎え、高級バージョンのブラックフリースを立ち上げた。ジャケットが三十万円、コートが五十万円という、それまでのブルックスブラザーズでは考えられない値段がついた。生地も仕立ても、もちろんデザインも最高のものをめざしたからである。


 いま、ぼくの手もとに、二十八万五千円(税抜き)の正札がついたジャケットがある。ブラックフリースが、翌2008年に発表した春夏のジャケットである。生地は、シャツ生地のオックスフォード。ファンジャケットと呼ばれる、いろんな色を組み合わせたデザインになっている。シャツ生地ではあるが、しっかりした裏地が入っているのでペラペラではない。イタリア製である。


 右袖はグレーで左袖はグリーン。右の身頃はブルー、左の身頃と背部はピンク、うしろ襟はイエロー、前襟の右はグレーで左はグリーン。ポケットはパッチポケットで、右はグリーン、左は胸ポケットともブルーである(いま、二階へあがって見てきたから、間違いない)。


 なぜこんなジャケットがうちにあるのか。新品未使用を四万円で落とせたからである(あまり実用的ではないから、入札する人もがんばらなかったんだとおもう)。すなわち、オークションのせいである。