矢村君のこと その14

 鎌崎次長と喧嘩して、荻馬場さんがさっさと会社を辞めてしまったあとのことだ。荻馬場さんのコゲツキが、2件あることが判明した。すぐに社長から、回収するように指示が出た。
 ぼくは、初夏の南千住を歩いていた。新たに開発される予定の広大な土地が、まだ更地のままで放り出されていた。アスファルトの道路が1本、その原っぱのなかを向こうにむかって走っている。そして、その道路が行き着くあたり、遠くのはずれに、マンションのような、公団のような建物が荒涼として立ち並んでいた。ぼくは、額の汗をハンカチでぬぐった。背中はもっと濡れていた。
 ぼくは、矢村海彦君に、笑いながらその日のことを話した。矢村君の自宅が、そこから橋ひとつ北の方角にあったからだ。
 矢村君は、集金に苦労した話には興味がなさそうだった。きっと、ぼくだって、ひとのそんな話には興味がもてないだろう。矢村君が興味を示したのは、南千住の広大な原っぱに話が及んだときだった。
 矢村君は、いつの間にか自転車を愛用していて、その界隈もよく走ることがある、といった。それから、自分の自転車の説明をしはじめた。 矢村君の自転車は、ママチャリのような普段ぽいものではなく、本格的なロードレーサーだとわかった。シマノは自転車メーカーではなく、自転車の部品メーカーだということも、ぼくははじめて知った。
 矢村君の場合、スーツにネクタイで、エドワード・グリーンの靴をはいたビジネスマン姿が定着していて、バイカーの格好でヘルメットをかぶり、ひたすらペダルをこいでいる姿が思い浮かばない。それは、ぼくの知らない矢村君の一面であって、ぼくと会うときの矢村君がけっして見せないものだ。
 矢村君と知り合って、30年が過ぎた。ぼくの知らない矢村君の側面は年ごとにふくらんで、ぼくの知っている矢村君は、コロッケのひき肉みたいにときどき歯に当たる程度にしか残っていないのかもしれない。