矢村君のこと その13

 月刊「PLAY BOY日本版」創刊号に、ライツミノルタCLの広告も載っていたのではなかったか。
 ライツミノルタCLは、ドイツと日本の技術提携により世に出たカメラである。 設計はドイツのライツが行い、製造を日本のミノルタが担当した。
 当然、日本製なのだけれど、ドイツで売り出されたものはドイツ製とされ、名前もライツ社の商標名からライカCLとなった。そして、同じカメラが日本では、ミノルタ製のライツミノルタCLとして発売された。
 製造台数はドイツ製ライカCLのほうが断然多かったが、なぜか日本製のライツミノルタCLに希少価値はなく、現在、中古カメラ屋でもライカCLのほうがずいぶん高値で取引されている。カメラ好きの人たち(撮影するより収集するのが好きな)は、性能よりもブランド・ステイタスのほうを優先するという、よい見本ではあるまいか。
 エッセイ集「世間はスラップスティック」(景山民夫著・新潮文庫版 平成元年2月25日5刷)269ページ「I氏のキーホルダー」の写真で、景山民夫が首からぶら下げているのがライツミノルタCLである(「ブルータス」に連載されたものがマガジン・ハウスから刊行されて、そのあと新潮文庫に収録されました)。 ぼくは、ニコンFのあと、このカメラがほしくなった。
 フジヤ・マツムラの入っていたビルの3軒となりに、山田写真商会はあった。番頭の杉浦さん(仮名)とソニー通りですれ違ったとき、なんの気なしに、ライツミノルタCLありませんか、ときいてみた。ちょっとした挨拶のつもりだった。
 杉浦さんは、ドリフターズ仲本工事さんに似ている。ふつうの顔をしているときでも、なんとなく笑っているように見える。
「ああ、ありますよ、新品同様なのが1台」
 冷やかしだったのにあるのか、困ったな、とおもったが、杉浦さんは優しいから、見るだけ見てみたらいいですよ、といってくれた。
 手に取ると、ちっぽけなカメラなのに、ずっしりと重い。ファインダーをのぞくと、とても明るかった。シャッターの音も振動も、ニコンFにくらべたら断然小さかった。
ニコン、持ってるのに、またほしくなるでしょ? カメラのウイルスって、あるらしいですよ」
 杉浦さんは、ニコニコしながら、カメラを握るぼくの手を眺めていた。
 矢村海彦君に会ったとき、買ったばかりのライツミノルタCLを見せた。
「これくらいコンパクトなのって、いい感じですね。景山民夫も持ってたし」(彼も「ブルータス」の愛読者)
 広告制作会社の彼は、山田写真商会のことは知っていて、
「現像がしっかりしてるから、ときどき出すんですよ」
 といった。そして、あちらこちらに向けて、しきりにシャッターを押した。「ぼくは目が悪いから、ファインダー補正用のなにかが必要かな」
 やがて、しばらくして、彼も1台購入した。
「どうしようかと迷いましたが、やはりライカCLのほうにしました。ライツミノルタCLより高かったけど、なんたって、王道ですから」
 ブルータスよ、おまえもか。