矢村君のこと その11

 矢村海彦君は、自動車が好きだ。「CAR GRAPHIC」という雑誌は、高校の頃から読んでいて、佐賀の実家の押し入れの本棚には、創刊された1962年4月以来のバックナンバーが 整然と並んでいる筈である。
 あるとき、いすずベレットGTの運転の仕方を、丁寧に教えてくれたことがあった。
 ダブルクラッチを踏んで、ギヤチェンジは必ずいったんニュートラルでひと呼吸おいて、シフトをしっかり2速なり3速に叩き込まなくてはいけない。それを怠ると、ギヤボックスを傷めるし、エンジンの回転数も維持できなくて、本来の性能も十分に発揮できないのです、といったようにおもうが、いわなかったような気もする。
「いまは、金も時間もないから駄目ですが、余裕ができたらすぐにでも運転免許は取りたいですね」
 宮益坂のトップでミルクコーヒー(よそではカフェオレといってるもの)を飲みながら、細い目をキラキラ輝かせて、そう抱負を語った。ゲームセンターで彼と野球ゲームをよくやったが、抜群の運動神経が指先にまで行き届いていて、割と運動神経のよいぼくが1回も勝てなかった。だから、その彼が車を運転したら、さぞ素晴しいドライヴィングテクニックが見られるだろう、とおもわせた。
 後年、結婚してからようやく、彼は大好きな自動車を購入した。最初は、ベンツの190Eだった。その頃、外国車のディーラーにいた田西君から購入した。
「マコトに、いい車紹介しろよっていったら、あいつ、はあ、矢村さんからはお金取れないから困ったな、といいながら、小ベンツを置いてしっかり徴収していきましたよ」
 まんざらではないような口ぶりだった。
 このあいだ会ったとき、いま、なにに乗ってるの、ときいたら、ボルボ、と答えた。アルファロメオとかマセラティーとかにハマらないのが、堅実な彼らしいとおもうが、「CARグラ」の愛読者にしては冷めていないか。
「あんなに、エンスーしてたのに、どうしたのさ?」
「カミさんの運転しやすい車、選んでるんです」
 彼は、憮然として答えた。
「なかなか愛妻家じゃないか」
「ぼく、何度か教習所に通ったけど、とうとう免許取れなかったんです」
 スリムな矢村夫人の運転する車の助手席に、オートマチックだからギヤシフトの注意もできず、腕組みして憤然とすわっている大柄な彼の横顔が、ちらっと目に浮かんだ。