2007-01-01から1年間の記事一覧

続々・ぼくの歯の話

歯茎に注射針が刺さり、イタイ、とおもっているうちに何か所もつぎつぎに刺されて、やがて感覚がなくなって痛みを感じなくなる、というのがこれまで経験した麻酔注射でした(どうでもいいことですが、痛かったらいってください、といいながら、口をあけさせ…

続・ぼくの歯のはなし 

「とにかくレントゲンで見てみましょう」と鈴木先生はいいました。「2本のうち1本は、残念ながら2つに割れてしまっているようです」 ぼくの歯は、自慢じゃないけど治療してない歯をさがすのが大変なくらい、ひどいことになっています。 これは子どものこ…

ぼくの歯のはなし

治療してあった歯が2本、並んでとれました。とれたのはかぶせてあった金冠ですが、それをかぶせてあった歯の本体が、驚いたことに影も形もなくなっていました。金冠は、かろうじて歯の根のあたりにしがみついていたのが、とうとうこらえきれずに手を放してし…

ワイシャツと市川さんの話

担当している職人は、市川さんでした。ぼくは、札幌から送り返されたワイシャツを持って、市川さんに相談に行きました。 「これは、洗濯したあと、アイロンがよくかかってないからですね」 市川さんは、そういいました。 「いいでしょう、わかりました。あた…

ワイシャツの話 (唐突にシリーズ変更)

ワイシャツの衿の芯地と生地がうまくなじまないで、空気が入って浮く場合があります。これをパッカリングといいます。 芯地でも、接着芯といって芯地の表面に接着剤のような糊がついているものは、熱いアイロンをあてれば生地と芯地がピッタリくっついて、ど…

閑話

ワイシャツに関するトラブルは、じつに無数にあります。それを、担当者は、ひとつひとつクリヤーしていかなくてはなりません。しかも、問題はいつも山積していて、すこしも予断を許しません。衣類のクレームだけを取り上げても、うんざりするくらいあるんで…

市川さんの話 17

市川さんが下職をつかったのは、きっとこの時期だったに違いありません。そうでなければ、年間500枚のワイシャツを作るなんて、物理的に無理です。 大井の加藤さんは、仕事場の棚の上に、たくさん生地が載っているとご機嫌でした。本人はご機嫌かもしれませ…

市川さんの話 16

市川さんは、月に20枚の約束で、フジヤ・マツムラの仕事を引き受けました。砂糖部長が、それでもいいからやってくれ、と懇願したからです。ところが、いつの間にか枚数がふえてしまい、自分の古くからの顧客にまで、手がまわらなくなりました。チロル以来の…

市川さんの話 15 (ちょっと痛い編)

市川さんは、ときどき、失敗をしました。 違うひとの生地を間違って仕立てる、なんてことはありませんが、別のひとの生地が重なっていて、うっかりいっしょにカットしてしまうくらいのことはありました。 ちゃんと伝票を見ないで、前回どおりに仕立てあげ、…

市川さんの話 14

市川さんのいたチロルという店の顧客には、当時の有名人もたくさんいました。東京急行電鉄(東急)の五島慶太氏もそのひとりでした。 自由が丘に新しく東急のビルが建ったとき、五島氏はチロルに声をかけました。 「お宅の支店をうちのビルに出せよ。敷金も…

市川さんの話 13 (やっとタイトルどおりになりました)

如来化成(株)の縦島氏(会社名も個人名もともに仮名)は、上得意のひとりでしたが、会社の社長なのに偉ぶらず、いつもひょうきんに冗談をいってみんなを笑わす方でした。下町生まれの下町育ちで、気っぷのいい江戸っ子でした。 その縦島氏が怒ったことが2…

市川さんの話 12

「 店の奥で、おやじ(チロルの社長のこと)がなにか削っていたんですよ。見ると浮きをナイフで削ってるんです、いくつも。魚釣りの浮きなんか、削ってどうするんですってきいたら、ダッフルコートのボタンにするっていうんです。だいいち、まだダッフルコー…

市川さんの話 11

市川さんは、学生のとき、ボクシングをやりました。 市川さんの年代で、ボクシング部に入るというのは、なんとなくイカレポンチを想像させます。市川さんも、それを否定しません。ちょうど、石原慎太郎とほぼ同年輩で、もちろん「太陽の季節」が出る前のこと…

市川さんの話 10

市川さんのお父さんの仕事場に、ときどき訪ねてくる男性がいました。 男性は、なにげなさを装って、お父さんが縫ったシャツを手に取って、こまかい部分をたしかめていました。 「あなた、見てもいいけど、ひとのシャツ、盗むなよ」(註、細部のつくりやデザ…

市川さんの話 10

市川さんが、突然、腸捻転になりました。 命にかかわるというので、緊急手術しましたが、お腹に、たてに長く、縫った痕ができました。 なんだか、お腹にファスナーがついているように見えます。 「これが、ほんとにファスナーならね」 と、身動きできないベ…

市川さんの話 9 

市川さんはおしゃれですが、どうも感覚的にぼくなんかとは違っています。 たとえば、なくなった俳優の三橋達也さんのおしゃれを想い浮かべてください。派手なジャケットの下に、スポーツシャツにアスコットタイなんか締めています。ところが、ぼくはアイヴィ…

市川さんの話 8 (もう完全にぼくの思い出話)

「POPEYE」の創刊号が発売されたのは、1976年6月のことでした。ぼくは、矢村海彦君から教えられて、4号目か5号目から買いはじめました。すぐに創刊号を除くバックナンバーは揃ったのですが、創刊号は発行部数がすくなく、手放すひとも滅多にいなかったので、…

市川さんの話 7 (のつもりが、ぼくの銀座の思い出)

「銀座界隈ドキドキの日々」という本があります。著者は、和田誠(じつは、ぼくは、和田先生のことを呼び捨てにできない立場にあるのですが、失礼してこう書かせていただくことにします)。「銀座百点」というタウン誌に2年にわたって連載され、文藝春秋から…

市川さんの話 6 (でもほぼ余談)

ここでぼくの話をします。退屈でしょうが、おつき合いください(おいそぎの方は、ずっと飛んで、「ようやく本題に入ります」からお読みください)。 高校2年の終わりに、進路によってクラス分けがありました。ぼくのいた高校は、ほとんどが大学進学を希望し…

市川さんの話 5

市川さんが職人になってもらっていたお給料は、当時の大卒の4倍でした。 そのころの市川さんの夢は、銀座にアトリエをもって横浜の山手に家を建てることだったそうです。それだけの収入があれば、将来けっして夢ではありませんでした。しかし、市川さんは江…

市川さんの話 4

市川さんが芦田さんの誘いにのらなかったのは、いつか自分も一国一城の主になろうとおもったからです。鶏口となるとも牛後となるなかれ。そんな青雲の志が生きていた時代の話です。 有名になった俳優は、市川さんの作ったシャツで映画に出ました。撮影のとき…

市川さんの話 3

市川さんの少年時代のことを話しているとキリがないから、すぱっと割愛しましょう。 高校を卒業しようとしている市川さんがいます。とくに進学は考えませんでした。そのため、すでに銀行に就職が決まっていました。 市川さんにはお兄さんがいますが、どうも…

市川さんの話 2

市川さんのお父さんは、職人たちが出征したあと、陸軍の兵隊たちのシャツを作っていました。丸首の下着のようなやつです。それで招集は免れたのですが、仕事をしていると、よく憲兵が何人かでやってきてはいやがらせをしたそうです。 「貴様は、兵役にも出な…

市川さんの話 1

戦争が終ったとき、市川さんは小学6年生でした。 はじめに疎開したのは、静岡だったといいます。それまでは、家族といっしょに青山の家で暮らしていました。 戦前、市川さんの家には、住み込みの職人さんが20人くらいいました。お父さんがシャツ職人の親方だ…

看板職人 市川さん 序章

手もとにある「ヨーロッパ退屈日記」は、昭和49年8月10日新装版第一刷です。 「新装版あとがき」に、「山口瞳さんのお世話でこの本を出版することができた。十年前のことである」とあります。もともとの本のあとがきの日付は、1965年3月1日になっていて、伊…

東西名匠展 その6

前回最後に引用した文章に一部抜けた箇所がありましたので、もう一度引用しなおします。 「青山表参道の、受付のある豪華マンションに住んで運転手つきの自家用車がある。超一流料亭の常連。『フジヤ・マツムラ』のお得意さん。短編小説の名手。TVドラマで戦…

東西名匠展 その5

東西名匠老舗の会は、にぎやかなお祭りのような展示会である。 お祭りだから、いろいろな人がやってくる。 一度、向田邦子さんに見つめられたことがあった。 いらっしゃいませ、と通りすがりの来店客に声をかけていたときで、ぼくがなんの気なしに遠くに眼を…

東西名匠展 その4

東西名匠老舗の会は、関東がむらさき会、関西はくれない会と呼ばれて、ひろい催し場を二分していました。毎回、出店するお店の場所が変わるのですが、なるべく同業種のお店が並ばないように工夫されていました。呉服屋さんのとなりに洋品店がきたり、指物の…

東西名匠展 その3

東西名匠老舗の会は、前日の午後1時から搬入がはじまります。運送会社のトラックを頼んで段ボール箱50箱分の商品を積み込んで出発し、デパート裏にある搬入口から台車に移して運び込みます。 会場はようやく出来上がったところで、まだあちらこちらでトンカ…

東西名匠展 その2

東西名匠老舗の会の話をしようとして、つい横道にそれたのでした。 ところで、それたついでにもうひとつ、なんでも揃うにちなんだお話をします。 東大阪市の会社社長、岡品朝太郎氏(仮名)は、梅雨の時期に商談があって上京されました。日帰りするつもりだ…