東西名匠展 その4

 東西名匠老舗の会は、関東がむらさき会、関西はくれない会と呼ばれて、ひろい催し場を二分していました。毎回、出店するお店の場所が変わるのですが、なるべく同業種のお店が並ばないように工夫されていました。呉服屋さんのとなりに洋品店がきたり、指物のお店がくるように按配するわけです。ですから、いつもちがうお店の人と隣り合わせになって、会期ちゅうの1週間でずいぶん仲良しになったりするのでした。
 その年は、麹町にあった村山さんという呉服屋さんがお向かいでした。
 初日の夕方、村山さんに親娘づれのお客様がいらしていて、先ほどからお嬢さんのほうが、何枚も着物の試着をくりかえしています。もう夕方で、あんなににぎわっていた会場もすこし閑散としてきました。それで、ぼくらはこちら側にならんで、着せ替え人形みたいに着替えているのをずっと眺めていました。ときどき、おとり置き、という言葉がきこえてきます。どうやら村山さんは、一見のすごいお客様をつかまえたようでした。そうやってぼんやりしていると、ひとしきり試着を終えた親娘が、村山さんになにか申しつけてから、こちらに歩いてやってきました。とたんにぼくにもスイッチが入って、最敬礼して迎えました。
「父がカード持ったまま、まだ箱根から帰らないんですの」
 お嬢さんが、手近なバッグを手に取りながら、ポツンと口にされました。
「いま、呉服のほうも、あとで決済するからといって、何点か取り置きしてきたんですのよ」
「さようですか」
 と、ぼくは答えました。「それで、お父様はあとからおみえになられるのですか」
「もうすぐ、閉店でしょ。間に合うかしら。車で迎えにくるっていってたんですけど」
「まだ、お時間がございますから、どうぞごらんになってください」
 これはいける、とおもったのか、釜本次長が脇から現われて、「お嬢様、こんなバッグはいかがですか?」と声をかけました。
「わるくないわね。来月ハワイに行くとき、役に立ちそう」
「ハワイにいらっしゃるのですか」
 次長が揉み手をしながらききました。
「友だちの結婚式があるの。それで、着物を着ようかとおもって。でも、着物に合わせるハンドバッグって、なんとなく野暮ったいでしょ。しゃれたのないかしら?」
 はいはい、といって、次長はこまねずみのように太った身体をひるがえして、試着用の鏡を用意し、ハンドバッグを何本か棚からおろしました。
「これなんか、いかがでしょう?」
「わるくないけど、どうかしら?」
「それでは、こちらはいかが?」
「そうね。それと、向こうでカジュアルなバッグもいるわね」
 次長は、また、クルクルと走りまわって、軽いハンドバッグを並べてみせました。
 お嬢さんは、お母さまに、どうかしら、というようにみせました。
「あなたがよかったら、いくつ買ってもよくってよ」
 お母さまが鷹揚にいいました。
「じゃあ、これと、これと、これね。でも、父が間に合わないとカード切れないわよ。もう着くとおもうけど、うちのベンツ、最近調子わるいから」
「けっこうですとも」
 と次長はいいました。「まだ会ははじまったばかりですが、お願いできるなら、会期ちゅうはおとり置きいたしておきます」
「ううん、それじゃわるいわ。でも、ほしいし。どうせ暇だから、父をつれて、もう一度必ずまいりますわ」
 親娘づれは、閉店まで時間いっぱい遊んで、釜本次長の最敬礼に見送られて帰って行きました。親娘が帰ると、次長はニヤリと笑い、「これだけおとり置きだから、ほかにほしい方がいても駄目だからね」と宣言しました。実際、その日もずいぶん多くの方が、手にとって迷っていたのでした。取り置きせずに並べておけば、きっとすぐに売れてしまいます。次長はそそくさと取り置きの箱にしまってしまいました。
 ところが、翌日も、翌々日になっても、その親娘づれはみえません。
「だいじょうぶ。ちゃんとご住所はもらってあるから」
 しかし、いただいた電話番号は、かけてもつながりませんでした。ハンドバッグは宙ぶらりんのまま箱におさまったままです。さすがに、駄目なんじゃないの、という雰囲気が濃厚になってきました。次長は、なんとなく生彩を欠いてきました。やはり取り置きなんかせずに、ほかにほしい方がいらしたら売るべきだった、と反省しているのでしょうか。次長は、ときどき、箱からハンドバッグを取り出して、大きく溜息をつきました。早いとこ売ってしまいたい気持で一杯なのでしょうが、万一あの親娘がやってきたら大変なことになります。
 会期が明日までという晩に、とうとう次長は帰りにその住所を訪ねることにしました。その丁目は、ちゃんとあったそうです。しかし、かんじんのその所番地までくると、家が尽きて、突き当たりの土手にぶつかってしまいました。なんども行ったり来たりしてみましたが、とうとうその家はみつかりませんでした。
「ほら、あの親娘が書いた住所がこれなんだよ」
 翌日、そういって、憔悴した次長は、名前と住所が書かれた用紙をぼくに見せました。のぞいてみると、「台東区今戸何丁目何番地何号」とあります。
 ははん、なるほどね、とぼくはおもいました。それじゃあ無理ないな。たいていの人がそうおもうでしょう。あの二人は、今戸のタヌキだったんだ。