東西名匠展 その5

 東西名匠老舗の会は、にぎやかなお祭りのような展示会である。
 お祭りだから、いろいろな人がやってくる。
 一度、向田邦子さんに見つめられたことがあった。
 いらっしゃいませ、と通りすがりの来店客に声をかけていたときで、ぼくがなんの気なしに遠くに眼をやると、そこに向田さんが立っていた。遠くといっても、10メートルくらいの距離だったのではなかったか。
 向田邦子さんは、フジヤ・マツムラの顧客だった。ぼくが入社して間もなく、直木賞を受賞された。それで山口瞳先生が、イタリー製のスポーツシャツをうちで買われてプレゼントされた。「男性自身」というシリーズの17冊目「木槿の花」にそのときのことがくわしく書かれている。
 しかし、ぼくは山口先生がいらして、向田さんにプレゼントを買われたところを見てなかった。見てはいないけれど、先生が書かれたエッセイを読めば、だれがお相手をして、どういうふうなやりとりがあったか、手にとるようによくわかる。先生が、作っている部分まで、わかる。
 それは、ちょっとしたマエフリからはじまっている。
「親しい人に祝いごとがあったときは、銀座の『フジヤ・マツムラ』という洋品店から何かを贈ることにしている。ずっと以前、『フジヤ・マツムラ』は、銀座でもっとも高価なものを売る店だと言われていた時期があった。たとえば、婦人服などは一品かぎりで、同じものを着た人に会うというおそれはない。値段表の零がひとつ違うと言われたりもしていた。野坂昭如が、べろべろに酔っぱらわなければ、あの店に入れないと言ったことがある。私が自分のために買うものは、せいぜい靴下どまりである」。
 なくなった伊丹十三さんが、「ヨーロッパ退屈日記」のあとがきで、若い日の山口先生が、一軒一軒お店に入る前に、なぜこの店に入るのか、いちいち施政方針演説のようなまねをされたと書いている。だからこの文章も、フジヤ・マツムラに入って買い物をする前に、ちょうど同じように施政方針演説をされているのである。もうちょっと、引用します。
向田邦子の受賞祝いに、『フジヤ・マツムラ』で、イタリーのアボンという会社のスポーツシャツを買った。彼女は陸上競技の選手だったと聞いていたし、アボンのスポーツシャツが一番上等だということを最近になって知ったからである」(註、アボンについては「2004-11-03、吉行さんとコート」参照)。
「それを送ってもらうために、南青山の住所を書き、宛名を向田とまで書いたとき、のぞきこんで見ていた店員がいった。
『ああ、その方なら知っています。うちのお得意さんです。向田邦子さんでしょう。お綺麗な方ですから白を選んでよかったですね』
 なんともガッカリさせられたが、このときも体の血が薄くなるような思いをした」。
 山口瞳先生の揚げ足取りをするわけではないが、たしかに向田邦子さんはフジヤ・マツムラの顧客名簿に載っていたけれど、お得意さまというほどではなかった。だから、山口先生が書かれた宛先を見て口にしたのも、向田様ならうちの名簿にもお名前がございます、といった軽い程度だったのではないか。
 だいいち、お得意さまなら、何色がお好きか存じているから、あとになって「私、ああいう白いシャツって着られないんです。晴れがましくて」といわせるような選び方はまずしない。先生が、白にしようか、といわれても、ほかの色にされたほうがよろしいですよ、とサジェッションしたはずである。顧客の色の好みを知っておくというのは、ごく初歩的な常識だからである。
 しかし、それでは山口瞳のレトリックに合わなくなる。山口先生は、いま、向田邦子さんをほめあげようとしているのである。矢継ぎばやにたたみこんで、一気に高みにまで昇らせて、どうだすごい女だろう、とおっしゃりたいのである。
「表参道の、受付のある豪華マンションに住んで運転手つきの自家用自動車がある。超一流料亭の常連。随筆では山本夏彦や矢沢永一という悪口屋さえ唸らせてしまう。美人でスタイルが良く(手足は太いという評がある)、中川一政、小山富士夫に愛され、ベストドレッサーのも選ばれる。まったく憎らしい、可愛気のない女だった」(いずれも最高の褒め言葉)
(つづく。唐突ですが、長くなりましたので、以下次回)