東西名匠展 その6

前回最後に引用した文章に一部抜けた箇所がありましたので、もう一度引用しなおします。
「青山表参道の、受付のある豪華マンションに住んで運転手つきの自家用車がある。超一流料亭の常連。『フジヤ・マツムラ』のお得意さん。短編小説の名手。TVドラマで戦中派男性を泣かせる。随筆では山本夏彦谷沢永一という悪口屋さえ唸らせてしまう。美人でスタイルが良く(手足は太いという評がある)、中川一政、小山富士夫に愛され、ベストドレッサーにも選ばれる。まったく憎らしい、可愛げのない女だった」
 山口瞳先生は、向田邦子さんを、どうだ、すごい女だろう、とおっしゃっているのである。それは、山口先生が向田さんの作品にぞっこんまいってしまっているからである。この文章の前にこうある。
「次に彼女に会ったとき礼を言われた。
『でも、私、ああいう白いシャツって着られないんです。晴れがましくって』
『染めればいいじゃないですか』
『黒とか焦茶でないと駄目なんです』
『...』
『私って貧乏性なのかしら』
 よく言うよ。
『イタリーのアボンのスポーツシャツが良いって聞いたもんですから...。絹のように見えるけれど木綿なんです』
『あら、あれ、エイボンっていうんじゃないですか。よくは知りませんけど』」
 ぼくは、向田邦子さんにみつめられた、と書いた。それは、べつに、ぼくが素敵だったからではない(とおもう)。
 たとえば、こういうことである。ある評論家がバーに入ると、そこに山口瞳先生がいらして、おたがいに軽く会釈をかわしたとおもってください。
 うんと親しければ同席するところだが、顔見知り程度の場合は、うるさくなるので距離を置く。山口先生はカウンターの向こうの端に、評論家はこちらの端にすわって飲んでいた。
 評論家が、ふとなにげなく山口先生に眼をやると、先生はじっとこちらをみつめていた。そこで眼が合ってしまい、ふっと評論家は眼をそらした。なんとなくきまりがわるかったからである。そして、しばらくしてまた山口先生をうかがってみると、おどろいたことに、先生はまだじっとこちらをみつめていた。評論家は、こわくなって、もう山口先生のほうを見ることができなくなった。あとで、あそこでじっとこちらをみつめていたのは、まぎれもなく作家そのものの眼だった、と語っている(小説家にはゴロリとそこにころがっている眼さえあればよい、といったのは三島由紀夫だった)。
 ぼくをみつめていた向田邦子さんは、なにを観察していたのだろう。ふりきろうとしても、ふりきれない視線というのは、ひとを不安にする。
 ぼくは、向田さんに軽く会釈をした。向田さんは、不意をつかれたようにすこし揺れると、腰から上をやや右に倒すようなかたちのお辞儀で、会釈を返してくれた。
 それから、ふたりのあいだにひとしきり人通りがあって、それが切れたときには、もう向田さんの姿はそこになかった。
 向田邦子さんは、結局、ぼくが入社してからは一度も来店されなかった。たった一度お見かけしたのが東西名匠展だった。
 山口先生のエッセイは、次のように結ばれている。
「彼女は初対面の人とでもすぐに親しくなって、気まずい思いをさせることはなかった。そういう面でも天才だった。
 なお、アボンのスポーツシャツというのは、アボンが正しい」
 アボンの白いシャツがお気に召さなければ、お取り替えにみえればよかったのだ。そうすれば、そこからあらたなおつき合いがはじまったかもしれない。すくなくとも、エイボンではなくアボンですよ、と教えてさしあげるくらいのことはできたはずだ。