ワイシャツと市川さんの話

 担当している職人は、市川さんでした。ぼくは、札幌から送り返されたワイシャツを持って、市川さんに相談に行きました。
「これは、洗濯したあと、アイロンがよくかかってないからですね」
 市川さんは、そういいました。
「いいでしょう、わかりました。あたしの知合いのクリーニング屋が青山にいますから、行って、やってもらってきますよ」
 それが、糸部さん(仮名)でした(註、2005-08-28「K氏の青いビル」に登場するクリーニング屋さんと同一人物です)。糸部さんが洗ってアイロンがけすると、ワイシャツの衿はピシッとくっつきました。芸術的でさえあります。さっそく、札幌支店に送りました。広塀君は、外山氏に申し開きができました。技術さえしっかりしていれば、カラーはちゃんとくっつくのです。
 ところで、いくら糸部さんが優秀でも、外山氏がワイシャツを着るたびに、いちいち東京に送るわけにはいきません。当然、いつもの札幌のクリーニング店に出すことになりますが、そうするとまたパッカリングが起こります。
「H洋舎ともあろうものが、なにごとだ!」
 外山氏は、激怒しました。そして、H洋舎の工場長を呼びつけて、東京の町のクリーニング屋ができることを、なぜおまえのところはできないか、と怒鳴りつけました。
 災難だったのは、札幌H洋舎の工場長です。外山氏が、うんと糊のきいたワイシャツが好みだったら、問題なかったのです。外山氏は、糊がかかっているか、かかっていないかするような、薄糊のやわらかい仕上げのワイシャツが好きだったのです。
 糸部さんは、普通に糊を入れた洗濯機をまわして、最後にうんと水を足して、かすかに残った糊でもって薄糊の注文に応じていました。この加減というか、呼吸が名人芸なのです。町のクリーニング屋ふぜいといわれても、このちっぽけな町のクリーニング屋に勝てるクリーニング屋は、まずいません。
 札幌支店の広塀君は、外山氏に申しつかって、ぜひH洋舎の工場長に薄糊のかけ方を教えてやってほしい、といってきました。工場長がじきじきにアイロンかけをすることになったそうです。
「そんなのは、簡単だよ」
 と、糸部さんはいいました。
「おれのやってるとおり、洗濯槽を洗うときに、ついでにシャツをつけてやればいいんだよ」
 ところが、H洋舎のような大きなクリーニング店では、工場でまとめて洗い、アイロンかけも機械にはさんで一気にやります。それで、肝心のアイロンがありませんでした。
 工場長は、洗濯したワイシャツを、糊を薄く溶いた水につけ、乾かしてから機械のあいだにはさみました。はじめは、うまくいかなくて、せっかく洗ったワイシャツに余分に糊がつきすぎたり、糊が足りなくて、くっつくところとくっつかないところが出てきたりして、そのつど洗い直しました。あとで、泣きたくなりましたよ、あのときは、と、広塀君にいったそうです。そんな工場長の努力の甲斐あって、札幌の大病院の院長、外山久助氏のワイシャツは、無事パッカリングから解放されました。
「でも、よく工場長みずからアイロンかけなんかしたね。えらいもんだな」
 ぼくは、広塀君にいいました。広塀君は、将を射んと欲せばまずその馬を射よっていうもんね、と訳のわからないことをいいました。なんだそれ?
「外山院長の病院は、けっこう大きいしょ。白衣やシーツのクリーニングの量が、ばかにならないのさ。それがなくなるくらいなら、毎日1枚くらい、自分でやったってどうってことないもんね」
 ふーん。感心して損した。