続・ぼくの歯のはなし 

「とにかくレントゲンで見てみましょう」と鈴木先生はいいました。「2本のうち1本は、残念ながら2つに割れてしまっているようです」
 ぼくの歯は、自慢じゃないけど治療してない歯をさがすのが大変なくらい、ひどいことになっています。 これは子どものころからで、なにしろ母乳の出なかった母にかわり、父が用意して飲ませたミルクがコンデンスミルク(ほら、あの、イチゴを食べるときにつける、甘いトロリとしたやつです)だったというのですから、虫歯にならないほうがどうかしています。
 父は子煩悩で、待ちに待ってようやく生まれた我が子を、猫かわいがりしたようです。鼻紙を使うと赤ん坊の鼻の形がわるくなるからといって、ぼくの鼻を口ですすったといいます(しかし、父に似ればすらっとした鼻でしたが、残念ながら母に似たため、せっかくの苦労が水の泡になりました)。
 甘やかされたおかげで、ぼくは甘いものの食べ放題で、歯が生えかわる前にすでに乳歯は全滅状態でした。いわゆる味噌っ歯というやつです。笑うと歯がなくて、歯茎に黒く虫歯が並んでいる子なんか、もう滅多に見なくなりました。
「ほら、ごらんなさい。歯は全部残っていますが、これまでかかっておられた歯科では、歯の内部、歯根の処置が行き届いていません」
 とっさに銀座のM歯科のM先生の顔が浮かびました。M先生の温厚そうな横顔は、ゆっくりとこちらを向くと、ずるそうな笑みをもらしました。
「レントゲンで、それがよくわかるでしょう。これまでに治療した歯を全部やり直さないと、やがて大変なことになりますよ。ただし、何カ月もかかりますが」
「おまかせします」(銀座のM先生の顔が、もっとアップで迫ってきました)
「きょうはじめていらして、すぐ抜歯というのはナンですが、いかがでしょう? 割れた歯のほうは、早いところ抜いてしまったほうがいいんですけど」
「先生におまかせします」(M歯科なんかにもう行くもんか。ふくれあがったM先生の顔は、パチンと音を立てて煙りのように消えました)
「よろしければ、さっそく抜くことにしましょう」
 ぼくのすわってた椅子は、形を変えてベッドになり、ぼくは仰向けに寝て、眼をつむって口を大きくあけました。やがて、麻酔の注射針が、歯茎に近づく気配がしました。
(つづく)