矢村君のこと その7

 矢村海彦君が書いた小説は、レーサーが主人公だった。レーサーといっても、ワークスお抱えのリッチなドライバーなどとは程遠い、町の自動車修理工場の若い経営者だった。
 彼は、1年間必死に働いて、爪を灯すようにして貯めた金を元手に、中古のレーシングカーをチューンナップしてレースに臨む。修理の腕は、絶対だった。くたびれた中年男のような車が、息を吹き返して、ガルルルル、と吠えた。
レースは順調に進んで、終盤まで白熱した接戦がつづいた。主人公は、あと数周、トップを維持するだけでよかった。勝利の女神は、ボンネットに腰を降ろして、やさしく彼にほほえみかけていた。 ところが、とつぜん、エンジンが苦しげに悲鳴をあげて咳き込むと、つぎの瞬間火を吹くのである。
 こうして、彼の1年は、一瞬にして無に帰するのである。しかし、土台無理な話なのだ。潤沢な資金に裏打ちされたワークスチームと、すかんぴんの町工場では、はじめから勝負になるわけがない。終盤まで先頭争い残ったのは、それは小説だからで、実際には数周も保たないだろう。
 ガラクタになった車を引いて、彼のピックアップは帰っていく。今年も、また、駄目だった。観客たちのなかから、拍手と喝采がパラパラとわきおこる。きっとまた、来年、彼がもどってくるだろうことを、観客たちは知っているのだ。
「バックヤード・ララバイ」(裏庭の子守唄)という題名の示すとおり、母親のいない主人公は、町工場の裏庭で自動車修理の音を子守唄に育つ。遊び道具といったら、車の古タイヤで、主人公の少年はタイヤの輪のなかにすわりこんで、スパナをスティックがわりにしてタイヤの太鼓を叩いて遊んでいたのである。
 父親がレースにかけた情熱を、やがて息子が引き継ぐ。負の遺産である。けっして実を結ぶことのない挑戦が、ここにはある。これは、日本の小説ではない。アメリカの、地方都市の話であろう(読んだことがあるわけではないんですよ。彼は書きあげた原稿をコピーせずに直接出版社に送ってしまったし、応募原稿は返却されませんから)。
 矢村海彦君は、それから数年して、T新社で決起することになった。率先して立ったわけではなかった。しかし、ひとりぽっちになっても、最後までがんばった。まるで自分の小説の主人公そのままだった。その後、冷や飯も食ったが、やがて子会社の社長になった。彼の努力が実を結んだのだ。
 赤坂の本社で会議があるとき、彼も銀座の夜番工房から出かけてゆく。当然本社の社長とも顔を合せるわけで、「あれからだいぶたっているから、社長のほうも、もうすっかりわだかまりはないんだろ」ときいたぼくに、矢村君はすこしばかり間をおいて、「そうでもない」と答えた。
 (つづく)