罪と赦し

 砂糖部長に遠藤周作の「おバカさん」を貸した。箱入りの本だから、箱のまま渡した。装丁は柳原良平で、主人公のフランス人と、その足もとにまとわりつく犬が、ユーモラスに描かれていた。テーマは、人間の罪とそれに対する無償の愛(赦し)ということのようだった。
 しばらくして、砂糖部長がすまなそうにいった。
「きみ、わるいけど、あの本、ワイフも読みたいというので、もうすこし借りてもいいかな?」
 もちろんです、とぼくはいった。
 ぼくは、自分の本をひとに貸すのは好きではない。しかし、たまたまその本を話題にしていて、それじゃあ貸してくれないか、といわれたら、なかなか断りづらいものがある。それまでにも、何回もそんなことがあって、ちょっとヨレヨレになって、くたびれて戻ってくる本をみるたびに、あーあ、と溜息をついたものだった。
 なかには、読んだところまでのページの角の端を、平気で目印に折るようなヤカラまであって(これをドッグイヤーといいます)、それが友人のカミさんだったりすれば、あああああ、と心のなかで叫んでも、口に出さずに平然と笑っていなければならない。ははははは、はひーっ!
「うちのワイフは馬鹿だから、装丁のいい本はおもしろいから、この本もきっとおもしろいっていうんだ」
 耳のうしろをかきながら、砂糖部長はまんざらでもなさそうな、だらしない顔つきになった。わりと愛妻家なのだ。
 しばらくたってから、「おバカさん」は返された。箱が、みょうな具合にひしゃげていた。
「いや、きみには申しわけないことをしたが、ワイフが掃除ちゅうに、誤って箱を落っことして、おまけによろけて踏んづけたようなんだ。どうか勘弁してくれたまえ」
 この本のテーマが罪と赦しときては、腹を立てるわけにもいかない。部長夫人に踏みつぶされた箱は、犬の絵のところで曲がっていた。ここに足の裏がかかったのだろう。ぼくは、おもわず、犬踏んじゃった、犬踏んじゃった、と口のなかで、歌うようにくり返した。