O氏のこと 終章

 ぼくは、すこし勘違いをしていた。O氏は、まったく返済しなかったわけではなく、荻馬場さんがどういう方法かで請求して、あと残高16万円というところまで、なんとか漕ぎ着けていたのだった。荻馬場さんが突然辞めたので、その請求手段がわからなくなって、請求が途絶えて焦げついてしまったのである。
 3年前にある方に、メールでそのときのことをお話ししたことがあったことを思い出した。さいわい、送信記録のなかにそれが残っていたので、コピーしよう。
『ひとの焦げ付きの処理で、夜逃げした社長を探して歩いたことがございます。西日暮里の開成高校の裏へ訪ねてみると、会社も自宅も更地になっておりました。そこから、住民票を調べて、南千住の公団まで行きましたが、いつも留守なので手紙を出しました。ポストを見て、内縁の奥様とまだごいっしょなんだ、とおもいました。いっしょに銀座で買い物されていたのに、どんなお気持ちか考えると胸がふさがりました。
 梨のつぶてで、なんども公団に足を運ぶうち、近所の方が、どこかは教えられないけど町工場をやっているわよ、と耳打ちしてくれました。町工場というだけでは、探しようがありません。ある日、ふと、電話帳を開いてみました。駅までもどって、急にひらめいたのです。まさか、載っているとはおもいませんでした。
 6月はじめの暑い日でした。原っぱを突っ切るアスファルトの道を、汗をふきふき歩いて行きました。車庫を改装したような、ちいさな工場でした。ガラス戸に手をかけると、鍵がかかっておりません。戸をあけて声をかけました。どなたもいらっしゃらなくて、クーラーもありませんでした。プレスのような機械がふたつ並んでいます。きたない椅子もならんでいます。お二人でここで仕事をしていらっしゃるのでしょう。つくりかけのスプーンがころがっています。飲み物を買いに外へ出ました。
 15分ほどして、社長がもどってみえました。私がいるのに、眉ひとつ動かしません。
「まあ、こちらにすわってください」
 お姉様のご亭主が実印を持ち出して借金をこしらえ、3億円が払えなくて倒産し、家と土地を手放したこと。いずれ、きちんとするつもりだが、仕事もうまくいかなくて、弱り目に祟り目で、いま税務署へ行って相談してきたところだということ。それで、いまポケットに数千円しかなくて、ほかに1円もないことを説明されました。
 私は、
「飲みませんか」
 といって炭酸飲料を出しました。飲みづらいだろうとおもって、先に自分の缶をあけました。
「いりません。だいいち、前立腺が悪化して、炭酸なんか飲んだ日には、厄介なのです。せっかく買ってこられたのなら、その分は払います」
 とおっしゃって、ポケットからくしゃくしゃの千円札を何枚かつかみ出しました。
 私が有能な社員なら、そこにあるお金を根こそぎ取り上げて、持って帰ったことでしょう。でも、頭では、こういうときってそうするのかなあ、とおもうだけで、できませんでした。残高はあと10何万です。
「分割でも結構ですから、いずれ必ずお支払いくださると約束してくださいませんか」
 私はお願いしました。社長は、無精ひげを手のひらでこすって、「必ず払います」と、約束してくださいました。その言葉だけで十分です。「飲まないから持って帰って」といわれた缶を持って(奥様の分と3本買ってありました)、アスファルトの道を照り返しを受けながら帰ってきました。飲み損なった自分の缶を逆さにして、道にこぼしながら歩きました。もう、飲みたくもないではありませんか。駅までもどって、ゴミ箱にカラの缶と入ってる缶をまとめて捨てました。
 銀座にもどって報告しましたが、マツムラ社長はひとの顔を見て、「ならもういい」といいました。釜本次長なる人物は、カラ伝(実体のないウソの伝票。空伝票)ばかり上げていましたから、穴埋めするのに自分の退職金をずいぶん充てたはずです』