O氏のこと その4


 荒川区役所の窓口で、O氏の住民票を請求した。申請理由をきかれたので、借金の取り立て、と書いた。係の人は、申請書に眼を落としてから、眼鏡をずり上げるようにして、怪訝そうな面持ちでぼくを見た。
 夜逃げしたはずなのに、住民票はちゃんと新しい住所に移してあった。しかし、所番地がわかっても、会社に帰って地図で調べないことには、どのあたりだかわからない。報告を兼ねて、ぼくはいったん会社にもどった。
 日をあらためて向かった先は、南千住だった。地図の上では、電車の引き込み線が無数に走っており、とても人が住む場所のようには見えなかったが、住民票に記載された住所は間違いなくそこである。
 暑い日で、クーラーの効いた車内からホームに降り立つと、とたんに汗が吹き出した。荒涼とした更地がひろがっていて、出来立てのアスファルトの道路が、工事中の仮の塀のあいだをまっすぐに向こうに伸びてゆく。その行き着くあたりに、同じような格好のコンクリートの建物が、何棟も建ち並んでいる。いま、O氏がいる住居も、あのなかのひとつかもしれない、とおもった。
 番地をたよりに建物を特定した。その号棟は、公団が建てたものであるけれど、賃貸ではなく分譲だった。それなら、O氏は、夜逃げではなく、ただ単に引っ越しただけだというのだろうか、借金も払わずに。
 入り口を入ると、広いロビーがあった。郵便受けが壁に沿って並んでいた。ぼくは、ひとつひとつ、部屋番号と名前を眼で追った。O氏の名前は、すぐに見つかった。その名前の下に、Sさんの名前もあった。
「ああ、Sさんもいっしょなんだ」
 ぼくは、おもわずつぶやいてから、だれかにきかれたかとおもってまわりを見た。ロビーはしんとして、涼しく明るかったが、なんだか空虚な明るさのようにおもえた。
「夜逃げなら、Sさんもいっしょに逃げてきたわけだ」
 ぼくは、なぜか自分がすこしホッとしているのを感じた。
 郵便受けの番号で見ると、O氏の部屋は1階だった。廊下を1軒1軒、表札を確認しながら歩いて行くと、やがてO氏の名前が書かれたドアがあった。ぼくは、すこしためらってから、呼び鈴のボタンを押した。
(つづく)