有金君の怖かった話

 福生の駅前で待っていると、1台の黒塗りのベンツがすーっと寄ってきたんですよ、と有金君はいった。
すぐに運転していた男がおりてきて、ぼくの前までくると、ひらいた両膝に手をおいて、半分腰をかがめるようにして、でも頭はぜんぜん下げない仕方で挨拶したんです。濃い色のサングラスかけているから、眼の感じがわからないんですけど、そういうのって、なんだか不安にさせるじゃないですか。それで、声がドスがきいてて、言葉だけ丁寧なんです。
「お待たせして、申し訳ございやせん。組――じゃない、家のほうで親分が――あ、いや、社長がお待ちしておりやすので、どうぞお乗りになっておくんなさい」
 ぼく、もう、さよなら、といって、さっさと帰ってきたかったですよ、それきいたら。
 はじめは、店に電話が入ったんです。たまたま、ぼくが電話のそばにいましてね、受話器をとったら、カーディガン持って福生まできてもらえますか、というんです。ちょっと遠いけど、上等なカーディガンがいいというので、やったーとおもって、気をよくしていい返事をしちゃいました。
 で、つれていかれたのが親分の家なんですけど、これがプレハブの建物でした、ぼろっちい。あがれっていうから家のなかに入りましたけど、狭い家なんです。すわれっていわれて、部屋の隅っこにすわりました。
 親分は、赤いガウンなんか着てるんですが、これがまったく似合わないんです。畳の部屋なのにじゅうたんが敷いてあって、親分だけ革の椅子にすわっていました。その脇に、運転してきた子分が正座してすわりました。サングラスをはずした顔を見たら、たこ八郎に似ていました。組といっても、親分ひとり、子分ひとりのようでした。
この男は、親分がタバコをくわえると、あわててマッチをするんですが、マッチがしけてるのか、なかなかつかなくて。すると、親分がその男の頭をゴツンとなぐったんです。ええ、げんこで。痛かったとおもいますよ、いい音しましたもん。
それで、つぎにまたタバコくわえたときにも、マッチがつかなくて、こんどは親分、自分がはいていたスリッパで子分の頭なぐったんです、パコーンて。げんこでなぐったら、手が痛かったんでしょうね。それでも、なぐられた男は、そのままの姿勢でじっとしています。見たら、眼に涙がたまっているんです。もう、こっちはビビリまくりですよ。ああ、なんであのとき、ぼくが電話のそばにいたのかなーって、後悔しました。
 けっきょく、カシミヤのカーディガンが1枚、きまりました。フランスのアン・マリー。高かったですよ。こんな家に住んでいて、組といってもふたりだけだし、お金もらえるんだろうかって心配しちゃいましたよ。ええ、もちろん、払ってくれました。小さな手提げ金庫持ってきて、目の前であけたんです。そして、封の切ってない札束を取り出すと、ぼくのほうに放り投げて、いるだけ取れ、といいました。ぼくは、自分が封を切って、あとで残りの金額がたりなかったなんていわれたらいやだから、親分に切ってもらいました。
 それから、親分が、せっかくだからなにか食っていけ、と言い出したんです。いえ、けっこうですから、と拒んでも駄目で、子分が電話でうどんを注文しました。なんでうどんだかわからないけど、出前がくるまで、一所懸命、話をしました。沈黙しちゃうと、こわくなるでしょ。
で、うどんがきたけど、のびてたんですね。すると、また、脇にいた子分の頭をスリッパで思いっきりなぐりました。うどんくわえたまま、子分はまた涙を流しました。そんなの見たら、うどん、のどを通りませんよ。呑み込めなくて、いつまでも噛んでいたんですけど、とつぜん、フーテンの寅さんのセリフ、思い出しちゃったんです。ほら、寅さんが映画でいうでしょ、「そんなにいつまでも噛んでいると、口のなかでうんこになっちまうぞ」って。それで、フフ、って、つい、ふきだしちゃったんです。ふたりとも、わけがわからなくて、顔を見合わせていました。すると、いきなり、親分が子分の頭をなぐったんです。子分は、うらめしそうにぼくを見ていました。
赤いガウンのまま通りまで出てきた親分に、遠いところをありがとうよ、またきてくれ、っていわれて、子分の運転する車で駅まで送ってもらいました。駅に着くと、子分が先におりて、ドアをあけてくれました。そのときには、またあのサングラスをかけていましたが、もうこわくありませんでした。
子分は、やや足をひらいて、両膝に手を置くと、例の半分腰をかがめた格好で挨拶をしてくれました。
「本日は、ご遠方にもかかわらず、わが社の社長のために、ご苦労さんにござんす」