銀座百点 号外62

「年譜」に記載はないが、安岡章太郎は戦後、慶応義塾大学に復学し、1948年(昭和23年)に文学部英文学科を28歳で卒業している。ちょうど、脊椎カリエスで寝たり起きたりしていた時期で、肉体的・精神的苦痛はちょっと口ではいいあらわせないほどだったろう(しかし、復学して卒業までしたときくと、しっかりしているというか、ちゃっかりしているようにもおもえる)。
 その後、レナウン商事の嘱託社員をしているが、仕事はおもに海外のファッション雑誌(たとえば、ヴォーグとか)に載っためぼしい記事の翻訳だったようである。
 後年作家になってから、吉行淳之介との対談で、「どうやら文章が書けて、それが金になってほんとによかった。作家という仕事がこの世になければ、とても生きてはこれなかった」という意味のことをいっている。
 では、こんどは、吉行淳之介の年譜を見てみよう。