昭和二一年(一九四六)「都内柿ノ木坂に下宿して、大学に通った。『葦』は、翌二二年に第三号を出して終刊となったが、『世代』『新思潮』(第十五次)同人となった。窮乏して、家庭教師や、女学校の講師、雑誌社のアルバイトなどやった。翌二二年秋、大学…
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