綴じ込みページ 猫-87

 筑摩書房版「内田百間集成」の第一巻に、平山三郎の「雑俎」と題する覚書が載っている。


 先生の家の夕のお膳の前に、用事があって多い時になると週に二回、少なくて半月に一度は坐ることになる。
 むかしは、昼近い朝食代わりに牛乳と英字ビスケットですませていたが、最近ではそれもしないらしい。夕方まで何んにもお腹の中に這入っていないのだから、用件がそろそろ片づくころになると、先生はお膳の前で落着きがなくなり、苛苛してくるのが此方にも判るのである。一刻も早くお膳の上に御馳走を並べて盃をとりたいのだが、その順序が簡単には渉らない。先生の御前日記の献立メモの紙片をもう一度確認して、順序立ったコースでお皿小鉢が並べられる。向い合った私の前のそれが、先生と同じ順序に並んでいないと、何度でもやり直す。


 百間先生のお弟子だけあって、「苛苛」を「苛々」とは書かない。「々」は、文字ではない。「漢字返し」「同の字点」「ノマ」(片仮名のノとマを組み合わせた形に見える)と呼ばれる。ぼくの好きな作家では、石川淳は使わない。井伏鱒二も使わない。当然、百間先生も使いません。伊丹十三も使わない派だったけれど、はじめて「ヨーロッパ退屈日記」を読んだとき、ちょっと引っかかったな。もちろん、ぼくは使います。


 左端のお刺身の皿の右はウニの小皿といった具合に、自分のと見くらべて先生の手が私の前でちらくらと小皿を並べ直す。お膳の上の御馳走の整列がすむまで、先生がいらいらと忙し気に手を動かしているのを、見ているような、見ないような顔で私はじいっと膝に手をつかねている。口の中にじっとりと唾が溜まってくる。


 こんどは、「苛苛」を「いらいら」と平仮名で書いている。「ちらくら」は「ちらちら」だけれど、ぼくは「ちらくら」なんて言い方は百間先生の文章以外で目にしたことがないから、平山三郎内田百間の文章にずいぶん影響されていることがわかる。


 瀬戸内海の魚を食べて育ったのだから、関東の魚を余り賞めないけれど、お膳に魚介類がないと気がすまない。いわゆる魚喰いなのである。それも、ひとつのものに凝り出すと、それを一ト月でも二タ月でも毎日毎日、たべ飽きることを知らない。比目魚ならひらめ、さわらならさわらで、同じ物がお膳に並んでいないと気に入らない。戦中と戦後の或る時期を除いて、この習慣は少しも変らない。


 毎日、平気で同じものを食べつづけることには、ぼくも少々面映いところがある。
(つづく)