笑い話

「ドイツ軍て呼ばれる男がいるんです、八王子に」
 自動車外商に出て、東名高速を西に向かっているとき、アルバイトの福岡君(仮名)が突然いった。
「なにそれ?」
 福岡君は、武蔵野美術大学の学生で、九州から出てきて八王子に下宿していた。
 いや、ついいましがた、それをきいたばかりだった。だいいち、早稲田の自動車部に、だれか学生をまわしてくれ、とは頼んであったが、まさかよその大学の友だちを紹介してくるとは、おもってもみなかった。運転に間違いがないとおもえばこそ、自動車部にきてもらうわけなのに。
「自動車部じゃなければ、だめですか?」
 福岡君は、ちょっと心配そうな顔をしたが、もう出発してしまったのだから、だめもクソもない。せいぜい、かえってくるまで、事故なんかおこさないように気をつけてもらうだけだ。
 福岡君は、ふだんはバイクに乗っている、といった。それで九州まで帰省するのだそうだ。
「ナナハンとか?」
「ええ」
イージーライダーみたいなハンドルのやつ?」
 当時、そんなタイプのが流行っていた。
「いいえ、ふつうの、かがみこむ格好のです」
スティーブ・マックイーンが乗ってるやつ?」
「まあ、ちかいです。タカシマさん、バイクくわしくないでしょう?」
「うん。ぜんぜん」
「わかりますよ。友だちにバイクのる人いませんでしたか?」
「なん人かいる」
イージーライダーみたいなハンドル、イモですよ。おれら、あれ見ると、耕耘機っていうんです」
 ぼくが、ふーん、なるほどね、といって感心していると、福岡君は八王子のドイツ軍のはなしをはじめた。
「そのドイツ軍は、そんなハンドルでそっくりかえって乗ってますよ。ほんとうのドイツの軍用バイクは、背筋が伸びる程度の長さのハンドルなんです。そのほうが、見たとき、運転している姿勢がきれいに見えるでしょ」
 旧ドイツの軍服は、機能美より様式美ってところがあるのは、ぼくにもわかる。
「なにしてる人?」
「やはり学生です。でも、学校いくときも、旧ドイツ軍の将校の服を着て、革の長靴はいて、鉄かぶとかぶっていくんです。いや、いつだって、その格好なんですけど。だから、八王子じゃだれも知らない人はいなくて、あ、ドイツ軍だって、子どもまで知ってますよ」
「おもしろいね。それで、なにするの?」
「なにもしません。ただドイツ軍で、町のなかをはしりまわっているだけです」
「ふーん。へんなの」
「その格好でヨーロッパに旅行にいこうとしたんですけど、空港で、危険だからやめろっていわれたそうで」
「ああ、向こうじゃ、あぶなそうだもんね」
 主義主張なんかまるきりなくて、ただたんにカッコイイというだけで袋だたきにあったら、合わないだろう。そんなことも考えつかないくらい、軽々しいということか。
「もうひとり、ロシア軍ていうのがいるんです」(ソ連軍、といったかもしれない)
「それも八王子?」
「いや。でも、そう遠くないところです」
「ロシア軍も、昔の軍隊の格好してるの?」
「ええ、それでバイクを乗りまわしています。ドイツ軍のロシア版」
イタリア軍とか、いろいろいたら楽しいね」
「あるとき、ドイツ軍とロシア軍が知りあって、意気投合して、しばらくいっしょにバイクではしりまわってたんですが、うまくいかなかったみたいですね」
「どうして?」
「やっぱり、おれたち、思想が合わないって」