蜜野さんの話1

 蜜野庄助氏(仮名)のお屋敷は、海神の広い水田に面した丘陵の端っこに建っていた。
 南側に水田がひろがって見える、瀟酒な赤レンガの建物で、南向きのリビングルームの壁が、総ガラス張りのつくりになっていた。視界もひらけ、光がさんさんとふりそそぐ、明るい家であったわけだ。
 夏になると、屋根のへりから、そのガラス面に水を流す。幅ひろく流れ落ちる水は、さながらゆるやかな滝のようで、いながらにして滝の裏側を体験できるのであった。
 水は循環させて、また屋根にもどし、流すようにしてある。といっても、夏だから、蒸発してしまう分もあるし、だいいち循環させるのは電気でやるから、電気代がかかってしょうがない。
「そんなケチな根性で、家なんか建つもんか」
 と、蜜野氏はいった。「見晴らしはいいし、なんてったって、涼しいからねえ」
 あるとき、屋根に取り付けた循環器が故障した。とたんに、リビングルームは温室に打って変わった。真夏の温室では、クーラーなんかつけても、なんの役にも立たない。とてもじゃないが、いられない。
 蜜野氏は、ここは涼しいね、といって、ニヤニヤしながら店に入って来られた。
「車にはクーラーがついているから、避難して涼しいなとおもって乗っていたら、用もないのに銀座まで来ちゃった」
 そういって、ご自宅での出来事を話された。
「赤坂で料亭をやっていた女性がいらしたんですが」
 と、釜本次長が口をひらいた。「建築家が超現代的な発想をする人で、天井をいちめんガラス張りにしたんですね」
 蜜野氏は、うん、うん、と身をのりだした。
「料亭がガラス張りなの?」
「それじゃあ、政治家のかたが困るじゃありませんか。そうじゃなくて、ご自宅のほうです。青山斎場のそばの閑静な場所で、最初は、夜、寝ながら星が見られるって大喜びだったんです」
「そりゃあ素敵だろうね」
「ところが、家が建ったのが秋のおわりごろだったんですが、半年たってポカポカしてきたら、もう、暑くってたまらなくなりまして、建築家を呼びつけて文句いったそうです」
「うちみたいに、屋根を斜めにして、水を流せばよかったんだ」
「建築家はしかたなく、天井にブラインドを取り付けましてね、横向きに。だから、ひもを引っ張ると、スリットが閉じて、空が見えなくなるようになりました」
「それで、解決したの?」
「しませんでしたね。やはり屋根は、きちんと断熱材をあてがわなくてはいけないようで、星が見えなくても暑いのに変わりがなかったんです」
「気の毒だなあ。外がだめなら、うちのなかに、噴水でもこしらえればよかったんだ」
「まさか。でも、もうあとの祭りです」
 釜本次長は、女将さんがなくなって、ごひいきの政治家が挨拶した話をした。
 蜜野氏は、急に立ちあがると、さよなら、といって、そそくさと店を出ていった。そして、もう一度ドアから顔だけのぞかせると、
「いっておくけど、ぼくのうちから斎場までは、うーんと遠いからね」
 と、念をおすようにいった。