福岡君

「武蔵野美大の福岡君(仮名)のうちは、九州でラブホテルを経営していた。
 母上が手腕家で、ずいぶん繁盛していたらしい(余談だが、手腕家というのを高校のとき、He is a man of ability. というように習った。「彼は手腕家である」。彼女が手腕家の場合でも、man は woman としなくてもいいのかどうか、そのときもまぜっかえして質問したような気がするが、どうなのかわからない。わかっても、もう、二度と口にすることはなさそうだからどうでもよいが、なんとなく気持がわるい)。
 ラブホテルを繁盛させた手腕を買われて、市会議員に推薦されたのだそうで、「もしかしたらうちの母ちゃん、政治家になっちゃうかもしれないんです」と福岡君はいった。「しかも、母ちゃん、バーやキャバレーも経営してるんです」
「なんだか、きいていると、きみのお母さん、ダーティなイメージがあるなあ」
「そうでしょ。それなのに政治家になれなんて、どこかおかしくないですか」
「ぼくは、よくわからないから、なんともいえないな」
「おれは大学出たら、広告関係の仕事につきたいんですけど、母ちゃん、おやじにラブホテルをまかせて、おれにはバーとキャバレーやらせようとおもってるようなんです。夏休みに手伝いでバーテンダーの真似するもんですから」
「カクテルとか、できるの?」
「なんでもひととおりは。学資をだしてもらってるから、夏休みくらいはわるいとおもって」
「ふーん。生活費も送ってもらってるの?」
「下宿代と食費だけ。小遣いの分、足りないからアルバイトしてます」
「なにしてるの?」
「夜、原宿のピザ屋でウエイター。飯付きだから助かるんですけど、もうピザにはいいかげん飽きましたね」
 半年後、また、福岡君は運転のアルバイトに来た。その間にアメリカに行き、各地のコースターに乗りながら旅行してまわってきた、といった。
「むこうのジェットコースターはものすごいですよ。骨組みが木でできているやつが、ほんとにこわかったですね。ガタガタいって、スピードがでて。
 友だちと、男二人でまわりました。いろんなコースターに乗ったな、アメリカじゅうの。
 途中から、やはり日本から二人で来ていた女の子たちと知合いになって、いっしょに行動したわけではなかったんですけど、どこへ行ってもばったり会うんですね。だいたい、行くところはきまってるから。
 おれたちよりキチガイって感じでした。びびるようなすごいやつでも、平気で両手をあげたりして。こんどまた行くときには、いっしょに行こうっていってます。よかったら、タカシマさんもいっしょに行きませんか? 高所恐怖症? だめだなあ。
 帰る前の日に、ホテルの支払いはすんでるし、飛行機のチケットももってるし、もういいから有金ぜんぶ使っちゃえ、といってちょっと豪華に晩飯食いに行ったんです、例の女の子たち誘って。いや、なにもないですよ。飯食っただけです。
 ホテルに帰ろうとおもって、二人と別れて、友だちと道歩いてたら、車のなかから声かけられたんです。高校生くらいですかね、きれいな金髪。100ドルでどうか、ときくんです。金ないよ、と返事したら、50ドルでもいいっていうんです。
 もう、ほんとに金ないんですよ。そうしたら、見るだけだったら20ドルでもいい、といわれました。友だちとあわててポケットさがしましたが、やっと10ドルでてきただけで。半分見せろともいえないし、女の子たちのホテルに飛んでって、金借りてこようかっておもったとたん、金髪はニコッと笑うとスーッと車をだしちゃいました。とてもきれいな娘でね。損したなあ」
 福岡君は、「卒業したらバーのおやじになります。九州に来たら飲みにきてください、おごるから」といった。この半年の時間が、彼にいろんなことを考えさせたわけだ。Whether you like it or not, you have to do it. という文句が口をついてでる。
 「(君は)好むと好まざるとにかかわらず、それをしなければならない」(開拓社「Active Vocabulary」昭和43年4月10日改訂第85版)