キューちゃんのご両親

 吉行淳之介著「贋食物誌」(昭和49年10月新潮社刊)は、目次を見ると食物の名が列記されているものの、実際にそのページをめくってみても、食物のこととはかけ離れていることのほうが多い。しかし、ちゃんとその食物に沿った話が載っていることもあり、「豚(ぶた)」の項には、邱 永漢氏との交遊が語られている。
 吉行さんが邱氏のお宅に招かれて、もてなされたシナ料理のメニューが載っており、ぜひこれを紹介したいとおもったが、
「その日のメニューを、写してみる。厄介な文字もあって、印刷工場の人は苦労だろうが、とにかく左に列記する。」(原著はたて書きだから、こういう表現になる)
 と吉行さんも気遣われるように、複雑な漢字が混ざっていて、印刷工場のひとでなくても、パソコンでひろうのもむずかしいかもしれないが、やってみよう(前に食べて気に入った「ヤツガシラとブタニク蒸し」を吉行さんが強く希望したので、これ一品だけがまた出たが、来賓にメニューの列記された色紙にサインをさせて、その来賓に次回同じ料理を出さないよう用意していたというから、すごい)。
 菜単(メニュー)
一、冷盆(オードブル)
二、菜花羹(カリフラワーのスープ)
三、○金銭鶏(トリモツとブタニク)註、丸の文字は、火へんに局。
四、醤爆蟹(カニ炒め)
五、芋頭扣肉(ヤツガシラとブタニク蒸し)
六、豆○生○(カキのハマナットー炒め)註、左の丸は、豆へんに支。右は、虫へんに豪。
七、野鴨火鍋(カモのホンデュー)
八、四色素菜(ヤサイの精進煮)
九、麒麟蒸魚(タイのムシモノ)
十、○飩(ワンタン)註、丸の文字は、食へんに混。
十一、沙谷米羹(タピオカのデザート)
十二、生果(フルーツ)
 これだけのコースを出される邱夫人について、吉行さんは次のように書いている。
「女は結婚して主婦になると、たちまち変貌して別の人間になってしまう、というのが私の持論である。しかし、邱さんの夫人を見ていると、例外とおもえる人柄である。このように客を招待するときには、夫人は数日前から台所に入って、準備しなくてはならないらしい。(中略)このごろでは、だいぶ日本語が上手になったが、以前はニコニコしながら姿をみせて、『ナンニモナイヨー』といいながら、料理をすすめてくれる感じが、じつによろしかった。」
 そして、当のご主人の邱 永漢氏にたいしても、
「邱さんは商才豊かなので、その後事業に成功して大金持になった。もう、小説を書くなどという面倒くさいことはしない。『金もアキたし、うまいものは毎日食ってるし、つまんないよ』 。もちろんユーモアまじりの言葉であるが、そんなニクラしいことを言う。『食は広州に在り』というのは邱 永漢の名著で、こういう人が本物の(というか良い意味での)食通といえる。」
 と、好意を寄せているのがわかる。
 この御夫妻のご子息が、すなわち、痩せておかっぱ頭で背の高い、札束くわえた河童のキューちゃんなのである(豚というからには猪八戒が出てくるかとおもえば、やはりお約束の沙悟浄でした)。